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米統治、差別を正当化 沖縄で「外国人」として排除されたのは・・・今に重なる歴史<奄美復帰70年>


米統治、差別を正当化 沖縄で「外国人」として排除されたのは・・・今に重なる歴史<奄美復帰70年> 奄美出身者らに常時携帯が義務づけられていた「在留許可証明書」(内山照雄さん所有)
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 奄美群島の日本復帰から25日で70年。沖縄にいた奄美出身者ら数万人は当時、沖縄を統治していた米国民政府(USCAR)が1954年2月に制定した布令第125号「琉球列島出入管理令」(第二次入管令)の適用により、「非琉球人」として差別的な処遇を受けることになった。1次史料で調査してきた明治学院大国際平和研究所助手の土井智義さんは「米国が在沖奄美出身者を沖縄から追放しようとしていた」と指摘し、差別的な処遇を法的に正当化した「非琉球人管理制度」の問題点を訴える。 

 第二次入管令は第33条で非琉球人のうち、有罪判決を受けた人、ハンセン病や精神障がいのある人、貧困者などを強制送還可能とした。非琉球人は公務員に就けず、各種免許申請や公費留学の受験資格、選挙権・被選挙権などを持てず、さまざまな制度からも締め出された。

土井智義さん

 土井さんは「米国は在沖奄美出身者の事実上の完全送還という極端な政策を、国際的な批判を受けずに実現したかった。そのため、犯罪者など社会的周縁層には強制送還を適用し、それ以外の人は締め出す手段で自発的に帰らせる二段階の方法をとった」とみる。

 政策の背景には、沖縄の米軍基地建設のための土地接収で人口過密状態になっていたことなどがあった。ただ、土井さんは「統治者による『上から』の管理だけではなく、沖縄の住民社会に内在した『下から』の排外主義が合わさっていた」と指摘する。沖縄の行政機構やメディアが容認し、一部は送還を要求さえした。

 非琉球人として差別や偏見にさらされ、管理下に置かれた在沖奄美出身者らの、苦しみの体験は風化しつつある。土井さんは現在も国内外で外国人差別や排外主義が存在する現状に触れ、「『そこにいさせてほしい』と懇願しなければならない社会とは何なのか。共生社会の実現に向け、沖縄の地で誰が『外国人』として排除されたのか、なぜそうなったのか、人々の葛藤や恐怖、困難に改めて向き合い、非琉球人管理制度の歴史を見つめ直す必要がある」と語る。 

(中村万里子)