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神奈川県出身の人間国宝「壺屋焼」をスケッチ 陶芸家の濱田庄司さんの掛け軸残存 金城次郎さんらにも影響


神奈川県出身の人間国宝「壺屋焼」をスケッチ 陶芸家の濱田庄司さんの掛け軸残存 金城次郎さんらにも影響 濱田庄司氏
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 神奈川県川崎市出身の陶芸家で人間国宝だった濱田庄司(1894~1978)が沖縄を訪れた際、那覇市の壺屋焼のデザインや作品名などをスケッチしたとみられる掛け軸が残っていることがこのほど分かった。沖縄コレクター友の会の翁長良明さんが入手し、保管している。沖縄初の人間国宝に認定された壺屋焼の名工・金城次郎さんらにも影響を与えた濱田の直筆の記録で、陶芸に詳しい識者も「珍しい」と指摘する。

 濱田は日本民芸館館長などを務め、柳宗悦らと民芸運動をけん引した濱田氏は、戦前・戦後にたびたび沖縄を訪れ、壺屋焼の陶工らと交流した。

 掛け軸には陶芸作品の図柄とみられるスケッチに加え、右端に「覚えるのに十年 忘れるのに廿年(にじゅうねん)」との文字も書かれている。

濱田庄司氏が沖縄を訪れた際、壺屋焼のデザインなどをスケッチしたとみられる掛け軸(翁長良明さん所有)

 元県立芸術大学学長で美術評論家の宮城篤正さんは初めて掛け軸を確認し「図柄を描き、それに沿って作陶したのではないか」と推測した。

 沖縄を訪れた濱田が金城次郎さんの才能を高く評価したと振り返る宮城さん。「昔は先輩に技を教えてもらうのではなく『見て盗め』『練習して身につけなさい』などと言われていた」と話す。

 宮城さんは「濱田先生は『よその窯は見るな。自分の世界を持って作陶しなさい』と伝えていた」と話した。

 (古堅一樹)