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「選べる」は「つながる」 願いが実現できる社会を 若い母たちを振り袖姿に 上間陽子<論考・2024>


「選べる」は「つながる」 願いが実現できる社会を 若い母たちを振り袖姿に 上間陽子<論考・2024> 成人式の風景
この記事を書いた人 Avatar photo 共同通信社

 はたちになる年、私は振り袖を着なかった。母は用意すると言ってくれたけれど、みんなと同じことなんかしたくない、旅行に行くと言うとお金をくれた。だから私はリュックを担いでトルコに行った。

 乾いた土地だと思っていたトルコは野菜や果物であふれていて、トマトをひとつ買おうとすると市場の大人たちに笑われた。ひとつならば持っていきなさい、お菓子も持っていきなさいと言われてびっくりしていると、笑いながら果物を投げてよこす人もいた。

 日本人は珍しかったらしく、どこに行っても声をかけられた。セーラー服の水兵たちに、日本のどこから来たのと尋ねられて「沖縄」と答えると“Futenma!”“Base Kadena!”と騒がれた。他国の兵士が知る普天間基地や嘉手納基地。それは沖縄が、アメリカ軍の置かれた軍事拠点として世界中に知られているということだ。私はそれを怖いと思いながらも、この先、行きたいと思うならば世界のどこへでも行ける自分の力を信じていた。私にとって大人になるというのはそういうことだった。大人たちに守られながら何かを知り、守られていることにも気づかぬまま世界とつながる自分を信じることだった。

 大学の教員になってから、沖縄の風俗業界で働く女性や10代で母になった女性の調査を始めた。彼女たちは社会が用意した儀式よりもはるか前に、支え手なしに大人になる。七海もそういうひとりだった。5年前、七海は貯金を全部恋人に取られて、その後ふたりの子どもの母になった。

 家族行事の多い寒い冬、街は明るいイルミネーションに彩られる。たぶん七海は寂しいだろうと私は思い、日曜日になると七海の家にご飯を作りに行っていた。確かその日はクリスマスプレゼントを用意して、リクエストの里芋と鶏肉の煮っころがしを作ったはずだ。それでも七海は不機嫌な顔でむっつり黙って煙草(たばこ)を吸う。不思議に思いつつ自宅に戻りSNSをのぞくと「どうせ自分は成人式にも行けない」「着ていく服もない」「子どもの預け先もない」という七海の呪詛(じゅそ)の言葉があふれていた。

 シングルマザーの支援団体を運営する大阪の友だちに相談すると「子どもを預かって、振り袖を着せて式に出してあげたらいいんちゃう」とこともなげに提案される。そういうものかと思っていると「七海ちゃんに選ばせてね」と3着の振り袖が大阪からやってきた。

 周りの友だちも、カンパするよ、手伝うよと言ってくれたので、「大人がよってたかってはたちの女の子を可愛(かわい)くする会」を結成した。ついでに調査で知り合ったはたちの子に「振り袖があるけど着る?」と写メを送ると「わーい」とみんな喜んで、結局3人が振り袖を着ることになった。

 振り袖に刺繍(ししゅう)襟や色襟を重ね、花屋で特注した真っ赤なダリアや薄緑の大菊を髪に飾りつけると、3人はお花のように綺麗(きれい)になった。どこに行っても可愛い可愛いと言われたその日、本当に3人はにこにこ可愛かった。

 それを見ながら、ああそうかと私は思う。選択しているように見えても、それぞれが選択できる幅は違っている。私は振り袖を選ぶことも選ばないこともできたけれど、最初から選ぶことができない子たちがここにいる。だから彼女たちの言葉の奥にある望みを読み取ろうとしなければ、私はその声を聞き逃す。

 それからは毎年、はたちになる女の子の支度をしている。講演会などで話したら振り袖の寄贈がいくつもあって、今では6着が桐(きり)のたんすの中に揃(そろ)っている。そして私は3年前、女の子たちの出産を支えるシェルター「おにわ」まで作ってしまった。

 あの日の七海が、私をここに導いた。煙草の煙と一緒に吐き出された七海の言葉は呪詛ではない。社会に対して放たれた、自分もみんなと同じことがしたいという、七海の願いを実現できて本当によかったと私は思う。今年も「おにわ」では、3人の女の子のはたちのお祝いの支度をした。なかには七海がネイルを手がけた子もいる。七海は今、誰かを祝福する優しい大人になってそばにいる。つくづく月日は巡るものだと思っている。

 (上間陽子、教育学者)


 うえま・ようこ 1972年沖縄県生まれ。琉球大教授。沖縄で10代の女性たちの聞き取り調査を続け、2021年には若年女性の出産を支える宿泊施設「おにわ」を開いた。著書に「裸足で逃げる」「海をあげる」、共著に「地元を生きる」「言葉を失ったあとで」など。

(共同通信)