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戦禍逃れ宜野湾でチーズ店 ロシアのウクライナ侵攻2年 苦難の中、再起へ オデッサ出身 ビクトル・コロトフさん(47) 故郷に残る家族案じ


戦禍逃れ宜野湾でチーズ店 ロシアのウクライナ侵攻2年 苦難の中、再起へ オデッサ出身 ビクトル・コロトフさん(47) 故郷に残る家族案じ 開店に向け、チーズの試作を重ねるウクライナ避難民のビクトル・コロトフさん。北海道から素材を運んで沖縄で仕上げるチーズは「高い品質」と胸を張る=22日、宜野湾市伊佐
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 ロシアによるウクライナ侵攻から24日で2年。国外避難民は647万人以上に上り、2千人以上が日本で暮らす。県によると、県内の避難民は28人(1月末現在)。政府による支援の局面が「受け入れ」から「自立」へ移る中、県内の避難民も歩み始めている。南部オデッサ出身の料理人、ビクトル・コロトフさん(47)=宜野湾市=は同市にオープンするチーズ店の運営に加わる。生活の糧を奪われ、家族と離れ、寂しい思いを抱えながらも再起を目指す。

 ボルシチ、チキンカツレツ、黒海でとれた新鮮なカキや魚、ムール貝のスープ、手作りのサラミやチーズ…、コロトフさんの人生の幸せは料理と共にあった。シェフ歴20年。クルーズ船のコック助手で下積みし、さまざまな料理を作る経験を積んだ。地元の五つ星ホテルで腕を振るい、国内で一流のシェフとして認められるようになった。

 3年前に自身のカフェを開き、2店舗目を開こうと考えていた時、骨髄炎を発症した。生死の境をさまよい、右膝の手術を何度も受け、命を取り留めた。しかし退院後、すぐ侵攻が始まった。自宅アパートから約1キロ離れた場所に軍の古い空港があったため、狙われた。歩けないため避難できなかったが、毎日のように空襲警報が鳴り、ロケット弾が飛んでくることに感覚がまひした。店は閉鎖を余儀なくされ、膝の治療のため、兵役免除を受け、ジョージアに1人移り住んだ。

ロシアの侵攻で攻撃を受けた、コロトフさんの自宅から約1キロあまり離れた集合住宅=2022年4月(コロトフさん提供)
ロシアの侵攻で攻撃を受けた、コロトフさんの自宅から約1キロあまり離れた集合住宅=2022年4月(コロトフさん提供)

 その後、新潟県の友人に誘われ、23年3月に日本に避難。北海道でイタリア職人らがチーズなどを作る会社の沖縄での支店立ち上げを任された。11月に沖縄に来て開店に向け、チーズの試作に励む。避難者を支援する団体の支えもあり、運転免許も2回目の試験で合格。国の新たな制度の下で最長5年の在留資格の取得を目指す。「戦争で全てを失ったが、支援を受け、仕事を見つけ、沖縄で安全に暮らせることに心から感謝している。経験を積んで自立し、チーズ作りやウクライナ料理も教えたい」

 気がかりはオデッサに残る家族だ。大学院で学ぶ24歳の息子、14歳の息子、妻とは1年半ほど会っておらず、毎日テレビ電話で会話する。このまま戦争が続けば、上の息子は学業を終えた後、兵役に行く必要があるとみられる。「息子は穏やかな性格で戦争に行きたいと思ってはいないだろう」とおもんぱかる。持ち前の明るさと前向きさで戦争が続く現状に適応しながらも、戦争の早期終結と平和を願う。

 (中村万里子)

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