かつて宜野湾市にあり、米軍基地から派生する国際結婚や交際、養子縁組などの国際家事事件を取り扱った国際福祉相談所でケースワーカーを務めた金城頼子さん(75)=糸満市=が2月29日、北谷町役場内にある県の国際家事福祉相談所で自身の経験を語った。米国に帰国し消息不明の軍人の夫を探したり、夫から暴力に遭った女性をシェルターに緊急避難させたりするなど多岐にわたる問題に対応してきた。個人情報を扱うことからあまり経験を語ってこなかったが、「今伝えないと語れなくなる」との思いから口を開いた。
金城さんは米国の大学を卒業後、県内の旅行会社に勤務。ケースワーカーとして相談所を引っ張ってきた故平田正代さんから誘われ、1982年から国際福祉相談所が財政難で閉業する98年まで勤務した。「女は家庭」との風潮が強かった時代に仕事にのめり込み、周囲からは「やり過ぎ」とも言われることもあった。だが平田さんの口癖だった「私たちがやらないで誰がやるのか」の思いを胸に、女性や子どもたちのそばに立ち続けた。
主な業務は、出生証明書や死亡証明書などの書類を入手するため米国内のさまざまな機関に手紙を書く照会業務だ。「ありとあらゆる情報を使って、手紙を書いて連絡を取るのが私たちのやり方だった」と振り返る。
カウンセラー役や通訳も兼ねた。米軍関係者の夫から暴力を受けた際、基地内の法務官事務所や上官に相談者と同行し、別居や接近禁止令などを出してもらう同行支援もした。
「軍は基本的に身内の軍人を守る。雰囲気に圧倒されたが、相談者は私を頼ってきているので『ここまで来たらやるしかない』との思いで言うべきことを言った」
40歳の時には県の短期留学事業を活用し、米国への短期留学をした。米国内で国際結婚した沖縄の女性たちのネットワークづくりにも関わった。
金城さんは「私は英語が好きで、英語を使う女性の生き方に憧れがあった。真剣に人の人生に関われて、自分も学ぶことが多い仕事に導いてくれた平田さんにとても恩義を感じている」と語った。
(梅田正覚)