原発処理水放出「安全なら東京の海に」 漁業関係者、不安ぬぐえず <立ち上がっても 福島・東日本大震災13年>上


原発処理水放出「安全なら東京の海に」 漁業関係者、不安ぬぐえず <立ち上がっても 福島・東日本大震災13年>上 60年近く、福島の海を見つめ続けてきた底引き網漁師の志賀金三郎さん=2月27日、福島県いわき市小名浜港
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 積み上げた信頼が崩される思いだった。2023年8月24日、東京電力福島第1原子力発電所の処理水の放出が始まった日、底引き網漁の再開を控え、船の準備作業をしていた漁師の志賀金三郎さん(77)=福島県いわき市小名浜=は不安をぬぐい去れずにいた。

 11年3月の大震災後、漁業関係者らの努力もあって復興の道を歩み、福島の魚を人々が口にしてくれるようになった矢先だった。「安全というなら東京の海に流せばいい」

 漁師となって半世紀、豊富な海の恵みを受け、にぎわった港は大震災で一変した。

 震災当日は海に出ていた。どーんと船が大きく持ち上げられ、地震を知った。がれきや流木などが流れてきて港には戻れず、そのまま沖で過ごした。接岸できたのは翌々日の13日だ。岸壁にはひしゃげた状態の船が持ち上がっていた。「大変なことが起きたっぺ」

 その前日、第1原発が水素爆発を起こしていたとは知りもしなかった。

 東日本大震災から11日で13年。琉球新報などの地方紙が連携し記事交換などを行うJOD企画の一環で、福島2紙などの協力の下、記者が地元の人を訪ね歩き、思いを聞いた。

(新垣若菜)