亡き娘の名ちなみ、ゼッケンは「385」 家族と宮古島への愛を胸に疾走 宮古島トライアスロン 沖縄


亡き娘の名ちなみ、ゼッケンは「385」 家族と宮古島への愛を胸に疾走 宮古島トライアスロン 沖縄 子どもたちの名前やゼッケンと共に大会に参加する森岡秀文さん=13日、宮古島市下地の宮古島東急ホテル&リゾーツ(喜瀨守昭撮影)
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【宮古島トライアスロン取材班】第38回全日本トライアスロン宮古島大会(主催・宮古島市、琉球新報社)が14日、スタートした。約1400人の「強人」たちが、午前7時から制限時間の午後7時まで、舞台となる宮古島市内を縦横無尽に巡り限界に挑む。亡き娘に思いをはせて長年出場を重ねる選手、仕事上の困難を乗り越えて31年ぶりの出場を果たす選手らが、それぞれの思いを胸に完走を目指す。

 生後わずかで亡くなった娘への思いを胸に―。

 娘の都さんの名前から「385(みやこ)」番のゼッケンと、4人の子の名を記したワッペンを胸に掲げて参加するのは森岡秀文さん(56)=埼玉県。1993年の第9回大会から出場を重ね、今回で27回目。宮古愛あふれるベテランの“強人”だ。

 85年の第1回大会の様子をテレビで見て、衝撃を受けた。「こんなにきれいな海が日本にあるんだ。いつかやってみたいな」と魅了された。その後4度の落選を経て、25歳で念願の初出場を果たした。島を挙げて声援を送る住民らの温かさに触れ、宮古にほれ込んだ。

 第17回大会の完走後には、当時交際していた妻聡子さんにプロポーズ。「日頃から宮古を感じていたい」と、4人の子には宮古の地名をなぞり、ひらら(21)、都、くりま(18)、良平(同)と名付けた。次女の都さんは約20年前、心臓の悪さから生後8日目で亡くなった。その後は大会事務局に願い出て、都さんの名前の語呂、385(みやこ)番のゼッケンを着けて出場している。

 「ゴールできるのは体の負担を上回る応援のおかげ」と森岡さん。コース沿道から声援を送る宮古島市立北小学校の児童には、「応援をありがとう」との思いで毎年完走メダルを贈ってきた。

 大会当日は「『みやこ』という娘がいたと実感できる大切な日」。苦しいときは胸のゼッケンに手を当て、娘とともに島を駆け抜ける。
  (西田悠)