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少年野球の前監督棚原さん 米軍属との数奇な出会い 障がい乗り越え「感謝」伝える 沖縄 


少年野球の前監督棚原さん 米軍属との数奇な出会い 障がい乗り越え「感謝」伝える 沖縄  安谷屋ライオンズの棚原清昌監督が撮りためた歴代メンバーの写真などが展示された葬儀会場 =4月19日、北中城村安谷屋の城徳寺
この記事を書いた人 Avatar photo 石井 恭子

 【北中城】安谷屋ライオンズの前監督、棚原清昌さん=享年(77)=の脚は小児まひのため曲がり、子ども時代は四つんばいで生活した。葬儀委員長を務めた幼なじみの比嘉一郎さん(72)は「サルみたいに跳びはねて木に登ったら、腕だけでさかさまに下りてきたり、普天間川で泳いだり。やんちゃだったね」と思い返す。

少年時代に小児まひの治療のためハワイに渡った棚原清昌さん(中央)

 生活の中でいや応なく鍛えられ、腕力がとても強かったと言う。上地流空手道拳優会で空手にも熱心に取り組んだのは「負けず嫌いでもっと強くなりたかったんだろうね」と振り返る。特技は腕での「バット割り」だったそうで、豪快な写真も残っている。

 米軍属との偶然の出会いから実現した、ハワイでの脚の手術に対する感謝、障がいがありながら地域で支えられてきた生活、「そういうことがあって自分も誰かを支えないといかんと感じてたんだろうね」と比嘉さんは推し測る。

米陸軍病院の病理検査技師として働いた棚原清昌さん

 棚原さんの下で35年間コーチを務めた、安谷屋ライオンズ2代目監督の比嘉信一郎さん(65)は「がーじゅーで、それがプレーにも現れていた」と思い起こす。「棚原監督の後というのは大きな責任も感じる。地域や友人、家族に『感謝』の気持ちを持って続けるのが一番大事だと教えてくれた。追いつくことはできないが、足元ぐらいまでは行けたらね」と日に焼けた顔で話した。

安谷屋ライオンズの守備練習でノックする棚原さん

 棚原さんはクリスチャンで、4月19日の葬儀は城徳寺の芝田祐蔵住職による仏式と、牧師によるキリスト教式の両方が執り行われた。安谷屋にあるホープチャペル沖縄の主幹牧師、ジョン・バチガルポさんは棚原さんとは54年来の友人だった。元米海兵隊員で、安谷屋の女性と結婚して「安谷屋ムーク」となったジョンさんは、棚原さんが英語を話せたことから知り合った。「二つの違う宗教から見送られるユニークな葬儀。とても特別な人だった。村で本当によくしてもらった」と旧友をしのんだ。

 「厳しくても優しかった」と振り返ったのは、18期生で安谷屋区自治会長、棚原克也さん(48)。「怒る時も、自分たちが悪いのだと子どもにも分かるように怒ってくれた。怖かったけど、今になったらまねできない」

 焼香に駆け付け、式の後でテントの撤去などをしていた32期生の棚原彰悟さん(33)は「指導が厳しいチームは世の中にたくさんあったと思うが、純粋に野球の楽しさを教えてくれた」とかみしめた。

(石井恭子)