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<記者コラム>戦争体験者の取材 狩俣悠喜(暮らし報道グループ暮らし統括班)


<記者コラム>戦争体験者の取材 狩俣悠喜(暮らし報道グループ暮らし統括班)
この記事を書いた人 Avatar photo 狩俣 悠喜

 「戦争の話はしない」。温厚な祖父が厳しい顔になり、語気を強めた。私が大学生の頃、戦争体験を尋ねた時のことだ。第二次世界大戦中、中国の満州で就職し、徴兵された。その後、旧ソ連のハバロフスクで約3年間抑留された。抑留者は過酷な体験をしたという。直接的な質問をしたことを反省し、ソ連のどこの港から帰国したのかなど関係がある話から祖父の体験に迫ろうとした。だが、祖父は体験を語らず、世を去った。

 戦争体験者には、筆舌に尽くしがたいつらい体験した人がいる。体験を聞く時は、細心の注意を払う必要性を学んだはずだった。

 2022年6月23日、慰霊の日。取材で訪れた糸満市の平和の礎の前に娘と思われる女性と高齢男性がいた。「目の前で爆弾が爆発し、親ときょうだいが亡くなった」。慎重に聞いたつもりだった。大粒の涙を流しながら少し語った後、口をつぐんだ。その様子を見て「心の傷を抉えぐってしまった」と動揺した。私は、涙で視界がぼやけ、話をほとんどノートに書き留められなかった。「人として最低なことをした」と思った。

 今年4月から記者職に戻った。2人の戦争体験者を取材した。取材を受けてくれたことはありがたい。しかし、はっきりとした戦争体験を聞くには、気を遣いながらも、直接的な質問をする必要がある。それは同時に、体験者の心の傷を開くことになるかもしれない。このジレンマに悩んでいる。