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核兵器「私たちは当事者」 家族伝承者が伝える祖父の悲しみ 広島原爆79年<継承のかたち>中


核兵器「私たちは当事者」 家族伝承者が伝える祖父の悲しみ 広島原爆79年<継承のかたち>中 祖父の原爆体験を伝える家族伝承者の尾形さん=7月31日、広島県広島市
この記事を書いた人 Avatar photo 新垣 若菜

 「私にしか、おじいちゃんの体験を残すことはできない」。家族の被爆体験を語る「家族伝承者」として活動する尾形健斗さん(33)=広島市=はおだやかな口調で話す。被爆者が減少する中、広島市は2022年から新証言の掘り起こしと継承を目的に、家族伝承者養成を始めた。巨大なキノコ雲の下で起こったあの日のことを家族が継ぎ、平和の心を紡ぐ。

 祖父は原爆が投下された翌日におばを捜しに爆心地2キロ以内に入った「入市被爆者」だった。小学校4年生のころ、身内から戦争体験を聞くという課題で、原爆の話を尋ねた瞬間、優しい祖父の顔が急に険しくなった。「これは聞いてはいけないのかも」と強く感じた。その後、関東の大学に進学し、周囲の原爆に対する興味や関心の薄さに驚いた。被爆3世の自分に何かできることはないかとの思いが、ずっと心の中にあった。

 新聞で市が「家族伝承者」の養成を始めたと知った。すぐに応募し研修生となった。小学生以来、祖父に原爆の話を再び尋ねた。「伝える責任があるから」と祖父も受けてくれた。約半年間通い続けた。

 今でも当時を思い出させてしまい申し訳なさは感じる。ただ、「継がねば、祖父の苦しさ、悲しさ、つらさがなかったことになる」。

 空襲による延焼を防ぐために建物を取り壊し防火地帯をつくる「建物疎開」を「こんなりっぱな建物をもったいないな」と考えていたこと、原爆落下時の空を見て「朝から大きな入道雲が出てて、不思議だな」と感じていたこと―。祖父の思い、言葉をそのまま伝える姿勢を大切にする。

 講話の最後に必ず伝える言葉がある。「被爆者の気持ちを推し量ることはできない。だけど、興味を持つことはできる。核兵器がある時代を生きる当事者だと忘れないでください」

 広島市の平和文化センターによると、24年4月時点で38人が家族伝承者として活動する。

  (新垣若菜)