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「撮影テープ渡せ」 迫る米兵、市民騒然 当時取材・QAB実近良雄さん <変わらぬ空の下 沖国大ヘリ墜落20年>1


「撮影テープ渡せ」 迫る米兵、市民騒然 当時取材・QAB実近良雄さん <変わらぬ空の下 沖国大ヘリ墜落20年>1 米兵から取材妨害を受ける琉球朝日放送のクルー=2004年8月13日、宜野湾市
この記事を書いた人 Avatar photo 梅田 正覚

 「フィルムを出せ!」

 2004年8月13日午後2時15分ごろ、米軍の大型輸送ヘリコプターCH53Dが沖縄国際大構内に墜落した。ヘリが接触した本館は爆風で割れた窓ガラスが飛び散り、煙のにおいが立ちこめていた。直後に隣の米軍普天間飛行場から大挙して米兵らが駆けつけ、現場は封鎖された。

 県警や消防、大学関係者でさえも排除される中、唯一、本館内を取材した記者がいる。琉球朝日放送(QAB)コンテンツビジネス局長で当時報道記者だった実近良雄さん(48)とカメラマンの2人だ。2人は規制線が張られる前に本館裏手から中に入り、取材を敢行していた。

 2人は3階の踊り場で米兵に見つかると、一階まで連れ出された。米兵は「おまえたちはどこにも行かせない」と強い口調で述べ、撮影テープを渡すよう迫った。

 「渡せ!」「渡さない!」。米兵との押し問答の末、2人は隙を見て二手に分かれて逃げ出した。米兵の一人がカメラマンを追いかけた。その光景を規制線の外から見ていた数十人の市民らは騒然となった。規制線の外側まで執拗(しつよう)にカメラマンを追いかける米兵を、市民が追いかける異様な事態に。

 米兵はカメラマンを捕まえたが、その周りを数十人の市民らが取り囲んだ。一触即発の雰囲気が漂った。 

(梅田正覚)

 沖縄国際大への米軍ヘリ墜落から13日で20年。あの日、現場で何が起き、人々は何を感じたのか。事故が浮き彫りにした課題や継承の動きを紹介する。