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五輪に押され報道小さく、全国との温度差を実感 <変わらぬ空の下 沖国大ヘリ墜落20年>1の続き


五輪に押され報道小さく、全国との温度差を実感 <変わらぬ空の下 沖国大ヘリ墜落20年>1の続き 本館内を取材した琉球朝日放送クルーを止め、撮影テープを要求する米兵=2004年8月13日、沖縄国際大学本館(琉球朝日放送提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 >>最初から読む>>「撮影テープ渡せ」 迫る米兵

 事故直後の本館内を取材した琉球朝日放送クルーから撮影テープを奪おうとした米兵を取り囲んだ市民ら。緊迫した雰囲気が漂う現場に上官が現れ、米兵に引き下がるよう指示した。騒ぎはいったん収まったが、大学構内だけでなく、飛び散った部品を回収するため周辺の民間地まで規制を敷いた。

 実近良雄さんは当時の取材妨害について、日米当局の「事故現場が危険だったため」という説明に懐疑的だ。「現場が危険なら遠ざければいいだけの話。撮られてはいけない軍事機密があったのだろう」と推察する。

 大学内にヘリが墜落する衝撃的な光景に、米軍による根拠のない現場封鎖、撮影テープの要求…。実近さんはそのまま夜の全国ニュースの現場中継を担当することになった。

沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事故の取材を語る琉球朝日放送の実近良雄さん=1日、那覇市

 だが、番組が始まっても中継はすぐに始まらない。アテネ五輪が開幕しており、30分ほどたって中継に入った。「VTRも短く、大きな温度差を感じた」

 民間航空機事故と同様、死傷者が出なかったことがニュースの扱いを小さくしていた。実近さんは「沖縄では日常的に米軍機が上空を飛び続け、不安が積み重なっている中での事故という理解が不足していたのだろう」と語る。

 事故から20年。米軍普天間飛行場から民間地上空を米軍機が日常的に飛び交うなど、当時と状況は変わっていない。実近さんは「今も事件事故が起これば、同じように権利が侵害されるかもしれない。普段からそう意識せざるを得ないことに大きな矛盾を感じる」と語った。

 (梅田正覚)