沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件から20年が経過した。この事件について、偶然起きた米軍機の墜落事故と捉えるのではなく、長期的で普遍的な位置付けをする必要があると考える。私なりの整理としては「米軍ヘリ墜落事件は人権問題であり、歴史的問題でもある」ということだ。沖国大ヘリ墜落事件以降も米軍機の墜落・不時着、部品の落下が継続している。空から危険なものが落ちてくる可能性がある状況では、「その人らしく生きる」という基本的人権の根底が保障されているとは言えない。
また、墜落事件の継承の必要性も言われているが、事件が起きたことやその日付のみを知識として知るだけではあまり意味はない。沖縄戦があり、戦後の沖縄の置かれた状況があり、その中で基地がどのように形成され、今なお残り続けているのかなど、歴史的視点、文脈の中で捉えないといけない。
昨年11月、在沖米軍幹部が「辺野古新基地完成後も普天間を使い続けたい」との趣旨の発言をし波紋を呼んだが、それは米軍の本音なのだろうと思う。辺野古新基地が完成したとして、普天間の機能が止まるのかについては疑問を感じる。基本的人権の尊重という立場から考えるなら、すぐにでも機能停止、封鎖、移転をするのが筋だろう。
私たちはこの問題をどう考えるべきか。住民の基本的人権を保障すべき社会と、どのように向き合うべきなのか。私たちは、自らの意志で社会を変えられるということを意識し、主権者として考え続ける必要があるだろう。
日本政府は国民である沖縄県民の権利を保障する責任を自覚するとともに、日米地位協定の改定に取り組んでほしい。また米軍という組織体が沖縄を見る視点からは、復帰前の占領下の意識が抜けていないように感じられる。その意識変革が求められるだろう。
(歴史学、談)