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ピザ箱に描いた“支配” 105人の「墜落現場」から見える沖縄 現代美術家・照屋勇賢さん 沖国大ヘリ墜落20年


ピザ箱に描いた“支配” 105人の「墜落現場」から見える沖縄 現代美術家・照屋勇賢さん 沖国大ヘリ墜落20年 創作や沖縄への思いを語る現代美術家の照屋勇賢さん=2日、南風原町内
この記事を書いた人 Avatar photo 石井 恭子

 「ピザくさい支配に沖縄県民怒る」―。20年前、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故後に米軍が現場を規制して日本側を排除した時に、ピザの配達員だけが中に入っていった。そのことを皮肉交じりに報じた米紙ニューヨークタイムズの記事に触発され、南風原町出身の現代美術家、照屋勇賢さん(51)のインスタレーション「来たるべき世界に」は生まれた。米国サイズの「ピザボックス」が100個ほど並び、内側には事故後に県民ら105人で行った「ヘリ墜落現場写生大会」の絵が描かれる。

2004年12月から始まった府中ビエンナーレに展示したインスタレーション「来たるべき世界に」=東京都・府中市立美術館(照屋勇賢さん提供)

 特製のピザボックスのふたに書かれた「ピザトクラシー」は、デモクラシー(民主主義)とピザを掛け合わせたタイムズ紙の造語だ。裏には記事の邦訳をプリントした。創作意図を「地方の自治よりピザ優先の“ジョーク”。信じていたはずの秩序が破綻した。背後には安全保障とか地位協定とかそういうのもあるんだけど、ピザボックスを現代美術として視覚化し、形にすることでメッセージにもなるし、批評にもなる」と振り返る。

 ニューヨーク滞在中に事故を知り、「宮森(宮森小米軍ジェット機墜落)の次の事件が起きた」と直感した。夏休み中で死者がいなかったことに安堵(あんど)するとともに「夏休みは小中学生が宿題で風景画などを描く時期。みんなで墜落現場を描こう。それこそが沖縄でできるアート教育ではないか」と思い立つ。

ヘリ墜落現場周辺でピザの箱への写生大会を開いた当時の照屋勇賢さん。後方に黒焦げになった木がある=2004年11月、宜野湾市の沖国大

 写生大会は事故後の11月に本館周辺で実施された。印象的だった一つは米軍が機体搬送の際に勝手に切った無数の木の切り株の絵。当時の伊波洋一宜野湾市長が家族と描いた。100個ほどを並べるインスタレーションは「単純に場所を取るし一種の領土というかそんな印象も与える。内側に105枚分の墜落現場が描かれることで、そこが誰の領土かという空間認識も出てくる」と語る。

 ドイツのベルリンに暮らし、ウクライナやガザでの戦争は地続きだが、市民の間で開戦時の衝撃が時間とともに薄れていくのも見てきた。戦争や平和へのまなざしについては距離も時間も超えて「結局はその人次第だろうな」と感じている。

市民ら105人がピザボックスの内側に思い思いの絵を描いた、沖国大ヘリ墜落事故現場写生大会=2004年11月、宜野湾市の沖縄国際大学(照屋勇賢さん提供)

 沖縄戦や米軍基地、環境問題を研ぎ澄まされた美意識とまなざしで静謐(せいひつ)な作品に昇華させ国内外で展示してきた。オスプレイや兵士を染色した紅型の着物「結い、You―I」は2023年に大英博物館に所蔵。25年には石川県金沢市の私設美術館KAMU kanazawaでのピザボックスコラボ企画も予定する。「沖縄は孤立状態ではなく日本本土や外国とつながっている。何が沖縄にとっていいのか一緒に話せるチャンスがもっと増えるといいな」

 南風原町津嘉山出身の生粋の「綱引き大好き少年」はこの夏、21年ぶりの「津嘉山大綱曳き」に参加して棒術も披露した。大切な故郷の過去と未来を胸に、現代美術で他者を巻き込み続ける。

(石井恭子)