2004年8月13日に米軍普天間飛行場を飛び立ったCH53Dヘリコプターが宜野湾市の沖縄国際大学に墜落した事故から、13日で20年となった。同飛行場周辺は軍用機の墜落の危険性に加え、米軍機の離着陸による騒音にさらされる。2012年にはオスプレイが配備された。外来機の飛来も絶えず、基地負担は増している。
その日はこれまでに聞いたことがないような爆音が聞こえた。直後にあったのは墜落音。「あ、これは近くにヘリが落ちたな」。
うるま市の会社員、新膳裕治さん(40)は当時2年生で大学でゼミをしていた。事故時は友人と大学隣のスーパーに買い出しに出ていた。大学に戻ると米兵が墜落現場を封鎖しており日米地位協定の高い壁が現実に目の前に表れた。ゼミ室に戻り、友人らと夕方のニュースを見た。ニュースはアテネ五輪開幕とプロ野球巨人の渡辺恒雄オーナー(当時)の退任問題から始まり、墜落事故はその後に流れた。その場に集まった学生らは口々に「扱いが小さい」と疑問の声を上げた。
事故から約1カ月後の9月12日、沖国大のグラウンドには約3万人(主催者発表)が集い、普天間飛行場の早期返還を求める市民大会が開催された。大会に学生代表として登壇したのが新膳さんだ。「事故への地元と本土メディアの温度差に私はがくぜんとし、問題が沖縄だけのものとして片づけられてしまう危険性を感じた」と訴えた。
翌年には当時市長だった伊波洋一参院議員の訪米団にも同行し、沖縄の基地問題を米国防総省や国務省などに訴えた。
卒業後は関東で数年働き2015年に沖縄に戻った。県外では沖縄の基地問題が話題になり突き放された経験があった。「ここにいて、日々目の前の仕事をこなしている人からすると、沖縄の基地問題を身体的な危機感とは感じ得ないんだろう」と考えるようになった。
勝連半島にある自宅では、米軍機の騒音により家族のだんらんがかき消される。基地問題を改善しようと何かをしているわけではない。「諦めや無力感を感じているわけではない。憤りは感じるが、それを振りかざしても何も変わらない。一番の問題は基地を巡って人々が対立することだ」と語る。
大所からではなく、「生活者」としての視点を大事にする。「日米安保というあらがえない仕組みの中で、イデオロギーで対立して人々が分断されてしまうことが一番悲しい。僕が今できることは学ぶことや選挙に行くこと」。
(梅田正覚)