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【深掘り】返還時期の“約束” 何度もほごに 普天間飛行場、辺野古への移設も困難 沖縄


【深掘り】返還時期の“約束” 何度もほごに 普天間飛行場、辺野古への移設も困難 沖縄 米軍ヘリ墜落で黒く焼け焦げた沖国大本館(左上)、岸田文雄首相と玉城デニー知事(右上)、新基地建設で海上ヤードの工事が進む辺野古・大浦湾(下)のコラージュ
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 米軍ヘリ沖国大墜落事故の8年前に日米が返還を合意していた普天間飛行場は、今も市街地に横たわり続ける。政府は名護市辺野古への移設を掲げ、今年1月に大浦湾での工事に着手するなど「前進」(政府関係者)を演出する。だが、軟弱地盤の改良という難工事が待ち受ける。米軍幹部からは航空基地の立地として、辺野古と比べ普天間の軍事的優位性を指摘する発言も。政府が返還時期を明示しない中、県政与党からは「普天間の危険性除去は辺野古移設と分けて進めるべきだ」との声が強まっている。

返還時期見えず

 普天間飛行場の返還は1996年に日米特別行動委員会(SACO)で合意した。だが、返還時期の“約束”はことごとくほごにされてきた。

 96年の合意では代替施設の完成を条件に「5~7年以内」に返還すると明記した。

 2006年には移設期限を2014年としたが、これも見直される。民主党政権下の2011年6月に行われた日米安全保障協議委員会(2プラス2)は「14年より後のできるだけ早い時期に移設完了」を確認。

 自民党の政権復帰後の13年4月に日米が合意した嘉手納より南の米軍施設統合計画では「22年またはその後」に修正した。14年2月には当時の仲井真弘多知事と安倍晋三首相が「5年以内の運用停止」を約束したが、この期限は19年2月に過ぎ、実現しなかった。

 現在は、大浦湾の工事に着手した今年1月から9年3カ月で工事を終わらせるというのが政府の正式見解だ。「部隊の移転などにどの程度の期間がかかるか明確でない」(栗生俊一官房副長官)などとして、年限を特定した具体的な返還時期は明示できていない。

維持したい

 新基地が完成すれば普天間飛行場を返還することになる米軍幹部は23年11月、県内メディアの取材に、軍事面のみを考えれば「(辺野古よりも)普天間基地の方がいい」と発言した。滑走路が長く、高台にあることからレーダーで見える範囲が広いといった普天間のメリットを挙げた。新基地完成後も普天間を維持したいかという問いに、自身に決定権はないとしつつ「答えはイエス」と述べて波紋を広げた。

 政府関係者は、普天間の辺野古移設は日米両政府の合意事項であり「返還しないことはあり得ない」と強調。先月、東京で行われた日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)でも辺野古移設を確認するなど「普天間継続使用」の火消しに務めている。

 政府は「一日も早く(普天間飛行場の)危険性を除去すること、固定化は避けなければならないということは(政府と沖縄の)共通認識だ」と繰り返し強調する。しかし、返還時期が繰り返し先送りされてきた経緯からは、早期返還の命題は空文化しているのが実情だ。

 統合計画は、普天間返還の条件として辺野古移設だけではなく、新基地では確保されない長い滑走路を使用するため、緊急時の民間施設使用のための改善など八つを規定するなど、高いハードルがある。

 一方、普天間飛行場にも配備されているV22オスプレイを巡っては、昨年11月に空軍仕様機が屋久島沖で墜落するなど、世界で相次いで事故を起こしている。市街地に囲まれた普天間飛行場の危険性は高まっているといえる。 

(知念征尚、佐野真慈)