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【写真特集】黒煙、異臭、米兵による封鎖…当時を振り返る 沖国大ヘリ墜落20年


【写真特集】黒煙、異臭、米兵による封鎖…当時を振り返る 沖国大ヘリ墜落20年
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 米軍ヘリの沖国大墜落事故から13日で20年を迎える。事故は学校や住宅が密集する市街地に基地があることの危険性を際立たせ、普天間飛行場の即時閉鎖・返還や名護市辺野古への新基地建設計画の見直しを求める世論が高まる契機となった。また、事故現場では米軍が大学を封鎖して警察や消防が立ち入りを拒否されるなど、日米地位協定のさまざまな問題が浮かび上がった。普天間飛行場には2012年には垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが配備され、県内外で墜落事故を起こしている。市街地上空を縦横無尽に米軍機が飛行する日常は20年たっても変わらない。当時の様子を写真で振り返る。

黒煙と異臭

2004年8月13日午後2時18分ごろ、宜野湾市の沖縄国際大学本館にCH53Dヘリが衝突、墜落し炎上する現場。衝撃音とともに黒煙が立ち上り、油が燃えるような異臭が一帯に広がった。事故後、隣接する普天間飛行場から米兵が駆けつけ、現場を封鎖した。事故の衝撃で部品が民家の窓ガラスを貫通して屋内の壁に突き刺さった被害もあり、学生や周辺住民を恐怖に陥れた。 (宜野湾市提供)

封鎖、妨害

事故発生直後、沖国大に隣接する普天間飛行場のフェンスを乗り越えて駆け付けた米兵により現場は封鎖され、消火作業を終えた消防や県警、大学当局の立ち入りを制限した。周辺の道路や民家も封鎖し、カメラを向けると撮影を妨害した。県警の捜査員は本館周辺で座り込み、米軍は8月17日、県警や消防が求めていた合同現場検証や調査要請を正式に拒否した。事故現場の管理権限が米軍から県警へ移されたのは事故から6日後の19日。事故機が米軍により撤去された後だった=2004年8月13日

形とどめず

墜落後、沖国大構内に散乱するCH53Dヘリの残骸。爆発や延焼の可能性を考慮し、消防は薬剤による泡消火に切り替え鎮火した。機体は「く」の字に折れ曲がり、機体前部は原形が判別できないほどに焼損した。日米地位協定上、米軍財産である機体の管理権は米軍にあり、日本側が原因究明や米軍機に搭載された危険物の有無、環境への影響などについて把握することができない。事故機の回転翼安全装置には放射性物質ストロンチウム90が使用されていたが、装置1個が発見されず、県民に不安を与えた=2004年8月(沖縄国際大提供)

50センチ先に

墜落機とわずか50センチで隣接する会計課の室内。爆風によりブラインドが吹き飛ばされたり、防音ガラスが割れて炎が入ってきたりした。この席に座る職員はちょうど出張中だったため、難を逃れた=2004年8月(沖縄国際大提供)