有料

本土と沖縄、同じ米軍機墜落でも「真逆」の扱い 九州大での事故、当時学生の女性語る 宜野湾・県民大集会


本土と沖縄、同じ米軍機墜落でも「真逆」の扱い 九州大での事故、当時学生の女性語る 宜野湾・県民大集会 屋富祖昌子さんが持っている1968年に起きた九州大学での米軍機墜落事故の写真
この記事を書いた人 Avatar photo 金盛 文香

 集会に参加した屋富祖昌子さん(81)=那覇市=はかばんから1枚の写真を取り出した。1968年、福岡県の九州大学に米軍機が墜落した時の写真だ。当時、同大学の大学院生だった屋富祖さんは事故を目の当たりにした。2004年、沖縄国際大学で同じような事故が起きた。光景は重なる。しかし九州大への米軍機墜落は、基地撤去につながった。一方、沖縄は20年たっても変わらない。「なぜ沖縄は基地撤去されないのか」。異常な現状に抗議の声を上げた。

 68年、九州大の建設中の建物に米軍機が墜落した。「バーンとすごい音がして火柱が上がっていた」。墜落現場から約100メートル離れた校舎にいた屋富祖さんは「爆弾が落ちたと思った」と話す。幸いにもけが人はいなかった。

 事故直後から学生らがスクラムを組み、門を閉鎖。米軍や警察の立ち入りを拒んだ。その後も強制的な撤去はなく、墜落現場は半年以上もの間、そのままの状態だった。

基地撤去が実現しない状況に「沖縄蔑視だ」と話す屋富祖昌子さん

 墜落した米軍機が離着陸していた米軍板付基地。以前より撤去を求める声はあったが、事故を受け、声は広まった。結果、基地の大部分は返還され、72年に福岡空港となった。

 神奈川県出身の屋富祖さんはその後、琉球大学に就職し沖縄へ移り住んだ。04年の沖国大米軍ヘリ墜落の時には琉大にいた。友人から事故を聞き、急いで屋上に上がったが何も見えない。後になって事故の詳細を聞いた時、九州大の事故とは「真逆だ」と思った。

 学生もメディアも米軍に追い出された。基地撤去の声は高まったが、事故から20年がたっても実現していない。「沖縄蔑視だ。状況はもっとひどくなっている」と現状を見つめる。「空も海も陸も、米軍と自衛隊はやりたい放題だ」と危機感は募るばかりだ。

 「弱い人や未成年、守らなければいけない人を国家権力が押しつぶすことが許せない」。基地撤去を実現した九州大事故の写真を見つめ、行動の継続を誓った。

 (金盛文香)