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安全な空へ事故風化防ぐ 沖国大ヘリ墜落20年で討論会


安全な空へ事故風化防ぐ 沖国大ヘリ墜落20年で討論会 沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事故に関するパネル討論で意見を述べるパネリストら=11日、沖縄国際大
この記事を書いた人 Avatar photo 梅田 正覚

 【宜野湾】「沖縄国際大学ヘリ墜落から20年を振り返るパネル討論会」(第3次普天間基地から爆音をなくす訴訟団主催)が11日、宜野湾市の沖国大で開催された。当時の高校生や記者、市職員、一市民だった5人のパネリストがそれぞれ事故との関わりを紹介し、米軍機が飛ばない「安全な空」をつくるために意見を語った。

 パネリストの一人、スマートフォンアドバイザーのモバイルプリンスさんは、当時高校生で願書を取りに来た時に墜落事故が起きた。当初はヘリが墜落したとは知らず、「爆弾が落ちた」と思い、ガラス片を避けるため急いで避難した経験を語った。

 琉球新報中部報道グループの石井恭子グループ長は、事故直後に大学内で取材をしていた。ヘリが接触した本館1階にいた職員から聞いた話として「建物が揺れた後にゴーと音がして、建物のガラスが割れて炎が20センチくらい事務所に入ってきた」と当時の緊迫した現場の様子を報告した。

 沖縄タイムスの黒島美奈子論説副委員長は米兵が県警の規制線を張って現場を封鎖する写真を紹介。「この写真が戦後ずっと続く日米関係を表している。沖縄では戦後も米軍の軍事事情が優先されている状況が続いている」と指摘した。

 当時市基地政策部長だった比嘉博さんは、墜落事故に関する多数の資料が宜野湾市ホームページから削除され、沖国大でも見つけにくくなっていると報告。「記録の充実が事故の風化を防ぎ、今後の検証につながる」と提言した。

 事故当時、大学内に弟がいて、恐怖で事故の記憶がないという市民団体「♯コドソラ」の与那城千恵美代表。「安全な空」をつくるためには「子どもに『声を上げても何も変わらない』と思わせては駄目だ。大人が諦めたらだめだと覚悟を見せないといけない」と強調した。

 20年前の事故当時、市長だった伊波洋一参院議員は「普天間飛行場の危険性と解決策」と題して基調講演をした。普天間飛行場には米国の安全基準では設けるべき「クリアゾーン」(土地利用禁止区域)が設定されていないと説明。これらの区域には住宅地がある。「普天間飛行場の現状は度を越している。これを認めることはできない」と訴えた。

(梅田正覚)