普天間基地を飛び立った米軍の大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落した2004年8月13日。大学近くに住んでいる中村桂さん(51)=当時31歳、宜野湾市=の自宅にはヘリの破片が飛び込み、窓ガラスが割れるなどの被害を受けた。
墜落事故から20年。県内各地で米軍機の事故が発生するたびに住民や自治体が声を上げても、米軍の都合を優先して飛行を再開する構図が繰り返されてきた。中村さんは「沖縄の状況は悪くなる一方だ。声を上げ続けることの大事さは理解でき、署名活動などもしていたが、今は諦めの気持ちがある」との心情も吐露する。
中村さんは事故発生当時生後6カ月の息子と家にいた。屋外にいた義理の妹と通話していたところ「ヘリが落ちてくる」と言われ、息子を抱いて逃げた。しばらくして家に戻ると、ヘリの破片が窓を突き破り、息子が寝ていた部屋にも飛び込んでいた。
事故後に家を訪れた防衛局の職員らも、自分たちの判断では動けないという状況で、事故当事者よりも米軍との関係性を重視したような対応に不信感を抱いた。また「事故でお金をたくさんもらったのでは」「メディアにたくさん出て有名人になった」などの声を投げかけられることもあった。同じ県民でも事故に対する感覚が大きく異なることを感じたという。
事故当時に抱きかかえて自宅外へ逃げた息子は現在20歳で県内の大学に通う。事故後も日常的にヘリは上空を飛んでいる。中村さんは「恐怖心を与えたら生活がままならないのでは」との思いから、事故の話を息子にはあまりしておらず、息子自身も事故に対する恐怖心などはないという。 中村さんは「ヘリも飛んでいるのが当たり前で、年中おびえながら生活するわけにはいかない」と話し「ヘリに対する感覚は事故前の状況に戻りつつある。そうでないと日常生活ができない」と複雑な表情を見せた。
屋久島沖でのオスプレイ墜落事故後にも、オスプレイなどの米軍機が沖縄の空を飛ぶ現状について「沖縄だけの問題ではない。日本のトップの人たちが米軍と向き合わなければ変わらない」と強く訴えた。
(福田修平)