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「対馬丸」漂着の地で、犠牲者を悼み献花 沖縄の児童ら


「対馬丸」漂着の地で、犠牲者を悼み献花 沖縄の児童ら 多くの遺体が漂着した海岸で黙とうする子どもたち=14日午後、鹿児島県宇検村
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 太平洋戦争中に沖縄から出港し、疎開する学童らを乗せた「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、学童ら1500人近くが死亡した事件から22日で80年となるのを前に、沖縄の小学生ら15人が14日、当時多くの遺体が漂着した鹿児島県・奄美大島の海岸を訪れ、犠牲者らを悼む慰霊碑に花を手向け、祈りをささげた。

 午後1時半過ぎ、穏やかな波音が聞こえる中、奄美大島・宇検村の船越海岸の慰霊碑に手を合わせ、浜辺で黙とうした。豊見城市の小学6年玉那覇楓さん(12)は「こんなきれいな海に遺体があったと想像すると怖い。平和のため、歴史を勉強して伝えていきたい」と話した。

 村によると、海岸周辺の町村には当時、約20人の生存者や100以上の遺体が漂着し、村民が救助や埋葬作業に当たった。村民や遺族らの要望を受け、2017年に村が慰霊碑を建立した。

 対馬丸は1944年8月21日、那覇を出港。翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で沈没した。事件の記憶を風化させず、平和教育の担い手を育成するために那覇市の対馬丸記念館が今回の行事を企画した。