八重山地区の公民教科書は2011年以降、4回にわたって育鵬社版の採択が続いてきた。同地区の教科書問題は11年7月、八重山採択地区協議会の会長だった玉津博克石垣市教育長(当時)が採択方法を変えたことから始まった。
教員ら調査員による教科書の順位付けを廃止したり、調査員の推薦がない教科書でも採択の対象になるよう規約を変更したりするなど、育鵬社を採択しやすい仕組みが整えられていった。
11年8月、協議会は育鵬社を選定し、石垣市と与那国町の教育委員会は同社の教科書を採択したが、竹富町教委は独自に東京書籍の教科書を採択した。9月に3市町の全教育委員が教科書の一本化に向け協議した結果、一度は東京書籍の教科書採択が決まった。
その後、文部科学省が全体協議の結果は無効だとする認識を示し、当初の協議通りの教科書を採択するよう求めた。最終的に石垣市と与那国町は育鵬社、竹富町は東京書籍を採択した。同町は14年、八重山採択地区協議会からの離脱を決定。15年から単独で教科書を採択している。
(外間愛也)