那覇市首里山川町3丁目で発見された不発弾は処理までに約9カ月かかり、約1400人が避難対象になった。不発弾の処理壕を地下に構築する異例の方法や、業者選定が長期化したことから、発見から処理までに長い時間を要した。住民生活にも影響を及ぼしており、不安や懸念の声も上がる。
不発弾は住宅密集地に連なる幅員3~4メートルの道路の地下から見つかった。市はピラミッド状の土で覆った高さ数メートルの金属製ライナープレート(防護壁)を設け、その中で処理する一般的な方法を検討したが、作業スペースが確保できなかった。
関係機関で協議した結果、地下に直径3メートル深さ6メートルの処理壕を構築する初の処理方法に決定した。民家への影響を避けるには手作業で掘り下げる必要があり、業者選定も難渋した。不発弾処理費用は国がほぼ全額負担する。市によると安全化処理費用は艦砲弾なら数十万円、爆弾なら数百万円規模だが、今回は異例の処理方法のため総額2千万円を超える見込みだ。
避難や交通規制に伴い、避難区域に含まれる近隣のホテルではブライダルフェアや宴席、ランチ営業の休止や変更、宿泊客や旅行会社への情報提供など対応に追われている。当初6月の処理予定が延期になったため対応は2度目。ホテルの担当者は「売り上げにも影響を受けている」と語った。市によると不発弾処理に伴う損失を補償する制度はない。
不発弾は発見場所で保管され続け、長らく通行禁止になったことから、住民からの不安や不満の声も少なくない。市の担当者は「安全を重視したため時間がかかった。住民には申し訳ない」と語った。多くの住民が避難対象になる山川町自治会の高良聡会長は「ひとり暮らしの独居老人が多いので避難方法を考えたい」と語った。
地域住民の男性(86)によると発見された不発弾は、沖縄戦後の1948年ごろ、かやぶきの規格住宅が建設された際、作業員が埋めたものという。男性は「当時は不発弾が怖くなかったからね。持ち運べる艦砲弾は真嘉比川に捨て、爆弾は重いので埋めていたから、まだあるかもしれない」と語った。
(嘉陽拓也)