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現在に続く人類館 欲望に応じない力強さを 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員) <女性たち発・うちなー語らな>


現在に続く人類館 欲望に応じない力強さを 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員) <女性たち発・うちなー語らな> 佐久川恵美
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 琉球やアイヌ民族、朝鮮人らが生きたまま展示された人類館をご存じだろうか。

 約120年前の1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会、いわゆる万博は殖民(しょくみん)地を有する帝国の広がりと威信をアピールする場だった。その一つのパビリオン「人類館」では、日本人が展示された1889年のパリ万博等を参考に、殖民地にした琉球、アイヌ、台湾、将来的に獲得しようとする朝鮮の人々らを「土人」と紹介。主催側が設置した住宅に琉球人女性らを住まわせ民族衣装を着させ「見る側」が望む「土人」を演出した。訪れる人々は帝国日本の拡大を実感するとともにエキゾチックな他者に出会い、自らが「未開」な人々とは異なる「文明人」であることを確認し正当化する仕掛けだった。

 「見る側」は殖民地支配によって、都合の良い他者をつくりだし命や尊厳の侵害、搾取、文化の破壊等から目を背ける特権を得るが、「見られる側」は暴力を回避するために求められるものを演じ、次第に迎合や同化に追い込まれていく。

 当時、「立派な日本人」になるための皇民化政策が敷かれていた沖縄からあがった抗議は、次のものだった。「どこから連れてきたか分からない娼婦を琉球人の代表として展示するな」「アイヌや朝鮮人と一緒にするな」等、生身の人間を展示することへの抗議ではなかった。人種・民族差別、性差別、職業差別等が内在化した「立派な日本人」と見なされないことへの抗議だった。

 差別されないために同化を目指し、それでも差別や暴力にさらされれば、自分の優位性を示すために新たに差別する対象、存在を軽視し都合よく扱える対象を欲望する。人類館は現在にも続いている。

 リゾート地沖縄がもてはやされる一方でネット上には沖縄ヘイトがあふれ、「南西シフト」の影響を受けている住民達は住民投票等の手段で意思表明することすら阻まれている。米軍人による性犯罪に怒りが表出する一方で、沖縄人や大和人が引き起こす性犯罪が同じ熱量で議論されないことにも違和感を抱く。

 だが「見る側」の視点にさらされながらも、都合の良い存在として扱われないために想いや痛みを表現するためには勇気がいる。求められる姿を演じない力強さは、自分が感じてきた想いや経験、痛みを誰かが分かったように説明することに抗い、尊厳を守る術を試行錯誤しながら、自分や周囲との対話の中で少しずつ獲得できるのだろう。

 参考…『人類館』(演劇「人類館」上演を実現させたい会、2005年編、アットワークス)

佐久川恵美 さくがわ・えみ

 1989年生まれ、那覇市出身。同志社大学・都市共生研究センター研究員。主な論文に「福島原発事故における線引きを問う」(共著・ハングル訳「境界における災害の経験」亦樂出版社)などがある。