元ひめゆり学徒隊の生存者で、沖縄戦の語り部活動に尽力した石川幸子(いしかわ・さちこ)さんが8月29日午後4時10分、老衰のため南風原町の病院で死去した。99歳。西原町小那覇出身。自宅は那覇市牧志。告別式は9月3日に那覇市のサンレー那覇北紫雲閣で執り行われた。喪主は長男直樹(なおき)さん。
1940年に沖縄師範学校女子部に入学した。卒業を目前とした19歳の時に沖縄陸軍病院第二外科に動員され、負傷兵の看護に当たった。戦後は小学校教諭となり、退職後は生存者や同窓生と共にひめゆり平和祈念資料館の設立に携わった。開館後は資料館の証言員を務め、自身の戦争体験を伝えた。98年~2011年まで県女師・一高女ひめゆり同窓会の事務局長を務めた。
ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「壕から掘り出された学友の遺品を丁寧に整理分類し、台帳に記録されていた。戦争を未来に伝える財産という思いがあったのだろう」とおもんぱかった。
一番心に残っているのは、体験を語った後に「どんなに言葉を尽くしても体験した者でないと伝わらないと思う」と漏らしたことだという。「そうであっても悲惨な戦争で学友が死んでいく姿を目の当たりにし、沖縄戦の組織的戦闘が終わっても約2カ月逃げ続けた過酷な体験から、二度と戦争を起こしてはならない、伝えないといけないという気持ちがあったと思う」としのんだ。
(中村優希、中村万里子)