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「予防法、家族追い詰めた」 ハンセン病回復者の平良さん 半生振り返る 沖縄


「予防法、家族追い詰めた」 ハンセン病回復者の平良さん 半生振り返る 沖縄 隔離を強いられた少年時代の思いを語る平良仁雄さん(中央)=21日、名護市、沖縄愛楽園交流会館
この記事を書いた人 Avatar photo 宮沢 之祐

 沖縄ハンセン病回復者の会共同代表の平良仁雄さん(85)=那覇市=が21日、自らの生い立ちと亡き妻や子どもたちへの思いを、名護市の沖縄愛楽園交流会館で開かれたトークイベントで語った。

 回復者や療養施設の愛楽園で暮らした人の遺品を撮った写真家小原(おばら)一真さん(39)の写真展が同会館で開かれているのに合わせて企画された。小原さんや同会館の学芸員鈴木陽子さんが聞き手となり、沖縄のハンセン病患者の戦後史と重なる平良さんの半生をたどった。

 発病した平良さんは9歳だった1948年、愛楽園に強制収容される。感染力は弱く、隔離は不要とする世界的な潮流と、財政が厳しい沖縄の事情を背景に平良さんは56年「軽快退園」。「差別が厳しい時代。でも、両親は喜んで迎えてくれた」。平良さんは表情を緩めた。

 その後、結婚。愛楽園にいたことも妻は受け入れ、5人の子どもに恵まれる。ところが、生活のため無理して働いた平良さんはハンセン病が再発する。愛楽園に再入所。周囲に知られることを恐れ、不安な生活の中で妻は亡くなる。

 「自分を責めました。でも、気づいた」と語気を強めた平良さん。「私たち家族を追い詰めたのは、当時のらい予防法。感染する恐ろしい病気という迷信を国民に植え付けた」と声を震わせた。

 写真展には、妻の写真を手に、愛楽園内の海岸に立つ平良さんのポートレートもある。亡き妻は平良さんとけんかしたとき、愛楽園を逃げ場にしたという。「女房が愛し続けてくれたこと、愛楽園に思いを寄せてくれたことを伝えたい」

 らい予防法は廃止されたが、「差別は依然残る」と平良さん。10月18日午後2時から、那覇市の琉球新報ホールで開かれるハンセン病問題のシンポジウムへの参加を呼びかけ、自分ごととして差別に向き合う人の広がりを期待した。

 (宮沢之祐)