大正区で50年近く続くエイサー祭り。当初は沖縄出身の若者たちが支え合って生きていくための「居場所」だった。現在は出身者以外も訪れ、大正区の一大行事となっている。差別に立ち向かうための祭りが今は、地域と県出身者ら、大正区と沖縄をつなげている。
エイサー祭りを主催する「がじまるの会」が、関西沖縄青少年の集い「がじゅまるの会」として発足したのは1975年1月。背景には、移住した若者たちが差別や偏見で追い込まれ、犯罪に巻き込まれたり自殺したりした事例が相次いだことがある。県出身者約200人が集まった。その年の9月に催したのが「第1回沖縄青年の祭り」。「団結しよう」「沖縄青少年の生活と権利を守ろう」などと掲げた。誇りを取り戻し、故郷を離れた人同士が支え合って生きていくためだった。
最初に立ちはだかったのは、親世代の県出身者からの「恥さらし」という言葉だった。当時から携わる金城馨さんは「とんでもない言い方だが、半分は感謝している。日本と沖縄の関係性を考えるきっかけとなった」という。「ヤマトでの経験上、沖縄を表に出さないという選択で生き延びてきたのだろう」と語った。
祭りの名称は「エイサー祭り」となり、今では毎回延べ1万5千~2万人が訪れる大イベントになった。
(明真南斗)