太平洋戦争関連の旧軍施設を主とした戦争遺跡について、1996年に始まった文化庁の近代遺跡調査に市区町村から報告があった642遺跡のうち約3割が消失、または大部分消失し、原形をとどめていないことが23日、共同通信の取材で分かった。開発や劣化が原因で、市区町村が現況を把握できていない遺跡も多かった。来年で戦後80年となるのを前に消失の岐路に立つ実態が明らかになった。
共同通信は情報公開請求により、国による調査としては唯一と言われる642遺跡と所在地のリストを入手。43都道府県の216市区町村に対しアンケートを実施した。「現存していない」(消失)59、「大半が消失したが一部が残る」(大部分消失)121で計180となり全体の約3割に上った。「現存している」は約6割の385だった。現況を「把握していない」は72、未回答など「その他」は5だった。消失した59遺跡について、複数回答で理由を尋ねた。住民や所有者の意向による取り壊し20、開発や建て替えによる工事11、経年劣化9、安全性を確保できず解体6。経緯不明も16あり、うち「宮内飛行場跡」(高知県四万十町)は大戦末期に極秘裏に造られ、さらに人知れず姿を消した。
大部分消失の121遺跡の実態を見ると、「東京陸軍少年飛行兵学校跡」(東京都武蔵村山市)は門柱1本だけが移築保存されている。
現況を把握していない72遺跡の理由(複数回答)は、立ち入り困難が24あり、具体的には「自衛隊用地のため」(埼玉県熊谷市)、「植物繁茂」(大阪府茨木市)が挙げられた。当時の資料がなく遺跡の特定ができなかったのが10あった。
アンケートの基としたのは96年文化庁調査のうち、幕末・開国ごろから第2次世界大戦終結ごろの「軍事に関する遺跡」。文化庁は報告書を出す前提で2002年までに50カ所を選定した。このうち今回の調査で「現存していない」との回答はなかった。報告書は未刊行のままだ。
アンケートは昨年11月時点の状況を尋ね、今年7月までの回答を集計。
(共同通信)