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フィリピン残留の沖縄県系2人、父の公的記録から「就籍」実現 他に県系3人申し立て


フィリピン残留の沖縄県系2人、父の公的記録から「就籍」実現 他に県系3人申し立て フィリピンのリナパカン島で、盛根リディアさん(左)と面接する花田貴裕総領事=5月(共同)
この記事を書いた人 Avatar photo 共同通信社

 日本国籍回復が認められた県人2世の姉妹、盛根エスペランサさん(86)とリディアさん(84)の父、鎌太さんはうるま市勝連出身で、戦前にフィリピンに渡った。現地の女性と結婚し、戦時中の1945年に戦死したが、同地の役場に残された婚姻届などの記録から国籍回復が実現した。支援団体によると、他に県人2世とみられる3人が那覇家裁で戸籍を新たに作る「就籍」を申請中だという。 

 戦争でフィリピン残留を余儀なくされた日系2世の身元捜し、国籍確認を支援する支援団体「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)によると、姉妹の父、鎌太さんは1945年にフィリピン中部のパナイ島で55歳で戦死したことが公的記録で確認されている。

 外務省の外交史料館が保管している旅券発給記録で1917、22年に2回、日本からフィリピンに渡航した記録も見つかった。中西部ミンドロ島の都市、サン・ホセの役場から発見された記録から35年5月6日にナンギト・スサナさんと結婚したことも判明。パラワン州の小離島アグタヤ島で生まれたナンギトさんはミンドロ島の農家に働きに出た時に鎌太さんと知り合ったとみられる。

 戦争で現地に取り残された県人には、大戦中に反日ゲリラに殺された、うるま市平安座島出身の赤比地勲さんがいる。その子で、アカヒジ・サムエルさん(82)=比パラワン州=が6月、PNLSCの支援を受けて同島の親類とオンラインで交流した。

安座島の慰霊塔に刻まれている父親とみられる赤比地勲さんの名前を見つめるアカヒジ・サムエルさん=2023年11月16日、うるま市平安座島の慰霊塔

 同じくパラワン州に住む、上原タムヒラさん(87)、マリアさん(83)の姉妹を含め、3人が日本国籍回復に向けて那覇家裁に就籍許可を申し立てている。

 一方、2023年12月にアカヒジさんと共に来沖した2世のカナシロ・ロサさんは、婚姻届を出していない事実婚の両親から生まれた「非嫡出子」であるため、公的記録に乏しく就籍の申立には至っていないという。