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「平和の礎」に刻まれた父の名前、触れて流れた涙 フィリピン残留2世 親族と共に訪問


「平和の礎」に刻まれた父の名前、触れて流れた涙 フィリピン残留2世 親族と共に訪問 平和の礎に刻まれた父の金城幸正さんの名を指すカナシロ・ロサさん(右)とカナシロさんの息子のアルマンさん=17日、糸満市摩文仁
この記事を書いた人 Avatar photo 梅田 正覚

 戦争で日本人の親と生き別れになり戦後フィリピンに残された日本人2世の2人が17日、親族らと共に糸満市摩文仁の県平和祈念公園を訪問した。

 戦争の影響で今も無国籍のままの2人は、平和の礎に刻まれた父の名に触れた。涙を流しながら「うれしい」と話した。
ダバオ市在住のカナシロ・ロサさん(80)の日本名は「マサコ」。平和の礎に刻まれた金城幸正さん=南城市玉城志堅原=の刻銘を見た。漢字をよく知らなかったが、自身の名前が「正子」で、父の名前から1文字取られていたのだと知ることができた。2歳で父と生き別れたロサさんは「文字を通して父に会えてうれしい」と話した。一緒に来県した五男のアルマンさん(52)は「今回ようやく自身のルーツが分かった。政府はもっと手助けをしてほしかった」と語った。

父とみられる赤比地勲さんの名を指さすアカヒジ・サムエルさん(右)とめいのミチコさん

 パラワン州在住のアカヒジ・サムエルさん(81)は、父と思われる赤比地勲さん=うるま市平安座出身=の刻銘に触れ、「父に会えて感謝している」と語った。一緒に来県しためいのミチコさん(53)は、沖縄戦やフィリピンで亡くなった犠牲者の名が刻まれる平和の礎を見て「これだけの犠牲者がいて驚いた。戦争は二度と起きてほしくはない」と話した。
 その後2人は県ダバオ会の案内で平和祈念公園内のダバオの塔を訪れ、平和祈念資料館を見学した。

(梅田正覚)