有料

日中戦争始まった少年時代 金城重正さん(1) 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>


日中戦争始まった少年時代 金城重正さん(1) 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>  金城 重正さん
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 政治の道を歩み、那覇市議会議長、県議会副議長を務めた金城重正さん(93)=那覇市=から沖縄戦体験をお聞きし、手記を頂きました。米軍上陸前、名護へ避難し、家族と共に山中をさまよいます。防衛隊に動員された父を亡くしました。

  ◇ ◇

 金城重正さんは1931年1月、小禄村(現那覇市)具志で生まれました。父は重雄さん、母は静さんで5人きょうだいの長男でした。現在の具志自治会館の近くに生家はありました。

那覇市具志の具志自治会館。この近くに金城さんの生家があった

 当時の具志は農業の盛んな地域でした。金城さんの家も約3000坪の畑がありました。具志では中規模の農家でした。重雄さんは馬車もあり、農産物の運搬に使っていました。生活は「苦しい方ではなかった」といいます。

 《サトウキビやイモ、野菜作りをしていた。野菜やイモを頭に載せたバーキ(かご)に入れ、旭町の市場まで運んだ。具志は砂糖作りの名所で、8カ所のサーターヤー(製糖場)があった。その一つで父は砂糖を作っていた。馬やヤギ、豚も養っていた。父と母は農業に一生懸命だった。》

 金城さんの少年時代は日本が中国と戦争を始め、太平洋戦争にのめり込んでいく時期と重なります。戦争が進むに連れ、具志の姿も徐々に変わっていきました。