【糸満】沖縄戦末期、野戦病院が置かれ積徳高等女学校の「ふじ学徒隊」の学徒らが動員された糸満市の糸洲壕(ごう)について、長野県佐久市が、平和学習のために解説板や献花台、階段への手すりの設置を進めている。佐久市は軍医で野戦病院の隊長だった小池勇助少佐の出身地。佐久市は来年1月30日に竣工式を行う予定。
小池少佐は日本軍がほぼ壊滅した1945年6月、ふじ学徒隊に解散を命令した。生きて家族の元に帰り沖縄戦の悲惨さを後世に伝えるよう訓示し、学徒らが壕を出た後に自決した。関係者によると学徒25人中22人と、沖縄出身の衛生兵23人中2人が生き延びた。
整備は、学徒と同年代の若者をはじめ壕を訪れる人々に沖縄戦の実相を伝える目的。元衛生兵らが建立した鎮魂之碑の前に解説板と献花台を設置し、壕に続く階段に手すりなどを取り付ける。民有地で地権者の了解を得て、糸満市や有識者らの助言も得ながら9月下旬に着工。これまでに解説板の台座や手すりの土台が完成した。昨年11月、栁田清二市長が整備を視野に壕を視察していた。
整備費約400万円を含む事業費計700万円を市予算で確保。取り組みを周知する目的でクラウドファンディングも実施し、遺族や同市出身者を中心に賛同が集まっている。佐久市の担当者は「ひめゆり平和祈念資料館などに向かう途中、ぜひ壕入り口まで入ってもらい、沖縄戦当時の状況を肌で体感してほしい」と話した。(岩切美穂)