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沖縄糸満市の「糸洲壕」、長野県の佐久市が整備を計画、ナゼ? 市長が現地を視察


沖縄糸満市の「糸洲壕」、長野県の佐久市が整備を計画、ナゼ? 市長が現地を視察 平和ガイドの井出佳代子さん(中央)の案内で糸洲壕の内部を視察する柳田清二佐久市長(右)ら=2日、糸満市伊敷
この記事を書いた人 Avatar photo 岩切 美穂

 【糸満】沖縄戦末期、野戦病院が置かれ積徳高等女学校の「ふじ学徒隊」の学徒らが動員された糸満市の糸洲壕について、軍医で野戦病院の隊長だった小池勇助少佐の出身地・長野県佐久市が、平和学習のために壕の安全対策の整備を計画している。来県中の栁田清二佐久市長が2日、壕を視察。糸満市役所を訪ね、當銘真栄市長に計画を説明した。今後、地権者の了解を得て整備を進めたい考えだ。

 沖縄戦で日本軍がほぼ壊滅した1945年6月中旬、各地の女子学徒隊に解散命令が出された。小池少佐は戦闘の沈静化を待ち、ふじ学徒隊に解散を命令。学徒らに生きて家族のもとに帰り、沖縄戦の悲惨さを後世に伝えるよう訓示し、学徒らが壕を出た後に自決した。関係者によると、学徒25人のうち22人と沖縄出身の衛生兵23人中2人が生き延びた。

 糸洲壕は畑の一角にある民有地で管理者はいない。元衛生兵らが85年ごろ、壕の前に鎮魂之碑を建立し、県遺族会が周辺を手入れすることもあった。

 かつては平和学習に活用されていたが、近年は雑草の繁茂や電柱の倒壊などのため、壕に入るのが困難になっていた。

 長野県から修学旅行で約50の高校が沖縄を訪れるとし、佐久市は長野の修学旅行生が糸洲壕を訪問できるよう、壕に続く階段への手すり設置や駐車場の確保、案内標識や鎮魂之碑への献花台設置を計画している。

 栁田市長は「戦争の悲惨さを語り継いでほしいという言葉は、古里の私たちに向けたものでもある。当時の学徒と同年代の若者にこの場に立ってもらい、思いを引き継いでほしい」と述べた。

 栁田市長を案内した宮城尊忠さん(75)=伊江村=は、父良信さん(享年87)が衛生兵として糸洲壕から生還し、鎮魂之碑を建立した。宮城さんは「小池少佐のおかげで父は助かり、私が生まれた。医者として命を重んじた思いを若い世代につなぐため、協力したい」と語った。

 當銘市長は「平和学習に生かすのは良いことだ。地権者の意向を踏まえ、今後意見交換していきたい」と話した。

 (岩切美穂)