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基地の犠牲 沖縄へ思い 池田大作氏 戦争の惨禍、伝え続け


基地の犠牲 沖縄へ思い 池田大作氏 戦争の惨禍、伝え続け 池田大作氏
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 公明党の支持母体・創価学会の池田大作名誉会長は、沖縄戦の悲惨さを訴え、戦後も続く基地被害を「日本本土の捨て石」と指摘してきた。愚かな歴史の保存にも積極的に取り組んでいた。

 池田氏が会長として初めて沖縄を訪れたのは1960年7月。学会会長に就任した直後で、糸満市のひめゆりの塔や摩文仁など南部戦跡を訪れた。64年12月、代表的著作となる小説「人間革命」を沖縄で書き始めたのは沖縄戦の惨禍を目の当たりにしたからこそだった。

 自著では、沖縄について「最も戦争の辛酸をなめ、人々が苦悩した天地」と表現。沖縄戦後も基地の島となっていることについて、「かたちを変えた、本土の『捨て石』であったといってよい」とつづっていた。

 学会によると、池田氏は17回、沖縄を訪れた。象徴的な取り組みが、米軍が核巡航ミサイル「メースB」を配備した基地跡地に学会が建てた恩納村の研修道場だ。

 道場を整備していた学会のメンバーは当初、ミサイル発射台を壊そうと考えていた。しかし、83年3月に道場を視察した池田氏が「永遠に残そう。人類が愚かなことをした証として残すんだ。沖縄から平和の思いを発信するんだ」と提案。その結果、発射台などが残り、核の脅威を伝える施設として残った。一般公開され、国内外から多くの人が訪れている。

 池田氏が最後に沖縄を訪れた2000年2月も、同道場に滞在したという。学会会員は「残してくれた偉大さを感じる。一番苦しんだ人が一番幸せにならなければいけない、という沖縄への強い思いを持っていた」と振り返る。

 (古堅一樹、沖田有吾、南彰)