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<仲宗根文子さんを悼む> 髙良和子(柳清本流和華の会家元) 稽古場に明るい灯ともす


<仲宗根文子さんを悼む> 髙良和子(柳清本流和華の会家元) 稽古場に明るい灯ともす 「美童」を踊る仲宗根文子=2005年
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 4月3日早朝5時、多事多難な人生を生きてこられた仲宗根文子先生が逝去されました。15歳年長の文子先生と私とのご縁は、1950年、今は亡き柳清本流創始者の比嘉清子先生の開南のお稽古場でした。稽古場は開南、松尾、泉崎と移り変わり、1972年に7人の先生方が県指定無形文化財「沖縄伝統舞踊」保持者に認定され、私たちは後継者に指定されました。

 復帰後は古典舞踊「柳」で同じ舞台に立つことが多く、打組舞踊の「金細工」では、亡き比嘉文子先生と3人で長年組んで踊りました。「詩の心を舞う」情景を思い浮かべて、歌に登場する人物の気持ちになって踊る方でしたから、稽古は夜遅くまで続き、帰りは私を車で送って下さいました。車中での会話はいつも思い出話でした。

 仲宗根文子先生は、美人でおしゃれでしたので、そのハイカラは全然衰えず、比嘉清子先生の稽古場に明るい灯をともされていました。手先も器用で手芸の作品も多種多様で、あの頃に大流行していたデイゴの花の飾り物を額に入れて、知人、友人に贈っていました。ハワイ支部や海外公演などで交流のあった皆さんへの贈り物としても大変喜ばれていました。あっけらかんとした性格なので、今頃は先に逝かれた先生や与座朝惟さん、松田健八先生など多くの方々にチュラカーギー(美人)のモーヤー(舞踊家)が来たと歓迎され、歌ったり踊ったりして楽しんでいることでしょう。

 文子先生、柳清本流は二代目も誕生しました。今後は私たちの責務として、二代目に華を咲かせるよう頑張ります。

 (柳清本流和華の会家元)

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 仲宗根文子さんは4月3日死去、95歳。県指定無形文化財「沖縄伝統舞踊」保持者、柳清本流柳の会家元。