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映画「沖縄決戦」 立ち位置の違い言葉に<佐藤優のウチナー評論>


映画「沖縄決戦」 立ち位置の違い言葉に<佐藤優のウチナー評論> 佐藤優氏
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 映画監督・岡本喜八氏(本名・喜八郎、1924~2005年)についてノンフィクション作家・前田啓介氏(読売新聞記者)が書いた優れた評伝「おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像」(集英社新書)が1月に上梓された。

 戦中派の岡本氏は、国家のために死ぬことが崇高な価値だと教え込まれてきた。しかし、大日本帝国は降伏し、あの戦争は間違いだったとされた。岡本氏ら戦中派は日本国家によって裏切られたという原体験から離れることができない。

 ちなみに筆者の父親は、1925年生まれの戦中派で、戦争中は中国で陸軍航空隊の通信兵として従軍した。「国家も新聞も平気で嘘をつく。情勢は自分の頭で判断しないとだめだ」というのが口癖だった。岡本氏は戦争映画にこだわり、それを喜劇として描くのが得意だった。軍を滑稽に描き、笑い飛ばすことによって国家を相対化するという戦略があったからだと思う。笑いの対象となるような国家に隷属してはならないというメッセージを岡本氏は映画を通じて観客に伝えたかったのだ。

 しかし、岡本氏のこの戦略は同時代の人々に正確に理解されなかった。その例が、岡本氏が喜劇ではなく真剣に戦争を描いた「激動の昭和史、沖縄決戦」(1971年、東宝)に対する評価を巡って顕在化した。

 <特に竹中労が『キネマ旬報』一九七一年十月下旬号に掲載した批評は苛烈だった(引用は竹中労『琉球共和国』より)。この作品には「私の心の虚を衝き剔る場面は一つもない」、なぜなら「沖縄の庶民(うちなーんちゅ)が不在だからである」とし、「この映画にえがかれた“沖縄”は、沖縄ではない」と述べる。沖縄県民として出演した役者たちが標準語をしゃべっていることも竹中は許せなかった。「私は滑稽憾よりもむしろ深刻な怒りを抱く」と憤然として書く。そして、「岡本喜八は、日本軍人を美化する(この映画には民間人を凌辱する日本兵は一人も出てこない!?)数倍の努力をはらって、南部の戦闘に自死した沖縄民衆の抵抗を描くべきだった。そうすれば、白骨となった彼らの怨念は、二十六年の歳月を跳躍して私たち日本人(やまとんちゅ)に、“戦争”とは何か? “平和”とは何か?という問いを鋭く突きつけたであろう」と論じた>(229~331頁)。

 竹中氏の評価には賛同できない。強制集団死(「集団自決」)、学童疎開船「対馬丸」の悲劇などこの戦争に巻き込まれた沖縄人の姿がこの映画では描かれている。岡本氏は日本軍人を美化などしていない。岡本氏が理解する沖縄戦における日本軍人の姿を(沖縄人ではない)日本人の映画監督として、その職業的良心に基づいて誠実に描いたのだと筆者は受け止めている。

 もちろんそこには、筆者のような日本系沖縄人からしても「これは違う」(特に八原博通第32軍高級参謀の回想録「沖縄決戦」を基礎資料にしたことによる事実誤認や、徹底して本土防衛の「捨て石」として沖縄を位置付けに無批判な点)と、ざらざらした感じを覚える箇所が少なからずある。筆者はむしろこの「ざらざら」感から沖縄人と日本人の対話が始まると考える。
 日本の知識人が沖縄に「寄り添い」(言い換えると「沖縄人もどき」になる)、沖縄の見解を代弁するよりも、日本人は自らの立ち位置で、誠実にあの戦争について語った方がいい。その論じ方に対して覚える違和感を沖縄人が表明する。そして対話を重ねるという過程を経ないと沖縄人と日本人の間で真の相互理解は達成できないからだ。

(作家、元外務省主任分析官)