沖縄戦では、多くの貴重な文化財が米兵によって略奪された。最近、その略奪品の一部が返還された。
<戦時中に沖縄から流出した文化財がこのほど米国で発見され、14日に県へ返還された。玉城デニー知事が15日の定例会見で発表した。返還された文化財は22点。第二尚氏第13代国王尚敬と第18代国王尚育の御後絵(おごえ)(琉球国王の肖像画)が含まれている。御後絵の実物が戦後確認されたのは初めて>(16日、本紙電子版)。
盗んだ物を返すのは当たり前だ。遅きに失したとはいえ、略奪された沖縄の文化財が「祖国」沖縄に返還されたことを筆者は歓迎する。この過程で県もよく頑張った。
<県は2001年、御後絵など13点の流出文化財について米連邦捜査局(FBI)の盗難美術品ファイルに登録申請をした。23年3月、FBIから外務省を通じて、流出文化財22点が発見されたと県に照会があった。高解像度写真の提供を受け、県はこれらが沖縄戦で持ち出された文化財である可能性が「極めて高い」と判断し、移送を依頼した。FBIに登録した13点のうち、今回返還されたのは尚敬王、尚育王の御後絵の二つ。/県は有識者委員会を設置し、詳細について調査する。損傷状況に応じて公開を検討する。/玉城知事は会見で「七十数年の時を経て、王国時代を肌で感じられる沖縄の宝が戻ってきたことは大きな喜びだ」と述べた>(同上)。 筆者も玉城知事と喜びを共有する。今回の文化財返還に関して、本紙は17日の社説で∧今回の文化財返還は大きな成果だ。この経験を生かし、さまざまな手法とネットワークで返還に取り組んでほしい∨と記した。全面的に賛成だ。
日本の中央政府との関係でも沖縄に返還させなくてはならない「文化財」が東京の外務省外交史料館にある。1854年の琉米修好条約、55年の琉仏修好条約、59年の琉蘭修好条約の原本だ。この3文書は当時の帝国主義列強3国家から琉球王国が国際法の主体として認められていたことを示す重要文書だ。
特に琉米修好条約は米議会で批准され、大統領が公布した、国際法上の要件を完全に満たす国家間条約だ。日本に併合される以前に琉球王国が主権国家であったことを示す物証だ。
沖縄にとって死活的に重要な外交3文書が79年の「琉球処分」(軍事力を背景にした日本による琉球併合)=沖縄県設置の際に琉球王府から正規の手続きをとらずに東京に持ち去れてしまった。沖縄からすれば、日本の公権力の手によって略奪されたことになる。
今回の米国による文化財の例に習って、日本の外務省も琉米修好条約、琉仏修好条約、琉蘭修好条約を沖縄県に自発的に返還したらどうだろうか。遅きに失したとは言え、外務省のそのような行動を沖縄は肯定的に評価する。日本の中央政府が3条約文書を自発的に沖縄に返還することを決断すれば、冷え切った沖日関係を改善する第一歩となる。
(作家、元外務省主任分析官)