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<視標>「つばさの党」代表ら逮捕 特殊な環境下、表現制約 選挙妨害の程度で故意認定 落合洋司・元検事、弁護士


<視標>「つばさの党」代表ら逮捕 特殊な環境下、表現制約 選挙妨害の程度で故意認定 落合洋司・元検事、弁護士
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 衆院東京15区補欠選挙を巡り、警視庁が政治団体「つばさの党」代表ら3人を逮捕した公選法違反の自由妨害は、前例に乏しい犯罪であり、その成否を論じてみたい。

 公選法225条は、選挙の自由を妨害する行為を禁じ、例示として交通や集会、演説を妨げる行為を挙げている。過去には、聴衆が演説内容を聞き取れないほど執拗(しつよう)に質問などを繰り返し、演説を一時中止させた行為を選挙の自由妨害と認定した裁判例がある。今回のつばさの党関係者による行為をこれに当てはめれば、客観的に見て妨害行為に達している可能性が高いと言えるだろう。

 報道によれば、他党候補者の選挙カーを追いかけ回したり、集会の開催を困難にさせたりした行為もあったとされ、裁判例が示す基準に照らせば、それらも客観的に見て妨害行為に当たる可能性が高い。

 このような妨害行為が認定された場合、次に問題になるのは、犯罪成立に必要な主観的要素である故意が認められるか、つばさの党関係者が主張するように「表現の自由」の権利行使として違法性が否定されないかということである。

 刑事の実務では、犯罪の成否を決める上で、まず客観的な行為の態様に着目し、それに沿う認識があったかどうかを問題にしていく手法を取る。

 客観的に、裁判例が示すようなレベルの妨害行為が認定された場合、実際にそのような行為に及んだ者には、妨害行為という認識があるのが通常だろう。仮につばさの党関係者が妨害の意図はなかったと否認したとしても、立件の対象となった行為が選挙の自由を妨害する度合いが客観的に高ければ高いほど、故意も認定しやすいという関係に立つと思われる。

 捜査機関も、立件の対象を選定する上で、そのような観点で絞り込んでいるとみられる。

 表現の自由は憲法上の重要な権利であり、最大限保障されなければならない。しかし、表現の自由と言えども絶対無制約な権利ではなく、他者の権利と緊張関係にあるときは、一定の制約に服するものでもある。

 最終的には、裁判所の判断に委ねられることになるが、今回のケースで表現の自由の制約を考えるときは、選挙期間が限定されている上、1日の中でも街宣には時間的な制約があり、しかも複数の候補者が選挙運動を展開しているという、特殊な環境にあったという観点が重要だろう。

 そういう環境下で交通や集会、演説が妨げられるようなことがあれば、正常な選挙運動が不可能になってしまう。表現の行使にも、そのような妨害に及ばないという、やむを得ない制約が課されていると見るべきだと考える。

 そうした制約が課された場合でも、妨害しない態様、方法での表現行為(例えばインターネットを活用するなど)は十分に可能である。

 なお、候補者が演説中に聴衆が単にやじる程度の行為は、社会通念に照らしても、客観的に妨害に当たることはなく、選挙の自由妨害罪は成立しない。客観的な妨害行為の認定は厳格に行われる必要があり、恣意(しい)的、政治的な判断は排除されなければならない。

 この事件を機に、選挙運動が円滑に、妨害なく行われるための法整備を改めて考えていくべきだろう。

 おちあい・ようじ 1964年広島県生まれ。早稲田大卒。89年検事に任官、東京、千葉、名古屋各地検などに勤務。2000年に退官して弁護士に。著書に「ニチョウ」など。

(共同通信)