第60回全琉アマゴルフ 県内最古の伝統ある大会の歩みを振り返る


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 ゴルフの第60回全琉アマチュア選手権(主催・県ゴルフ協会、琉球新報社、特別協賛・住友生命)は28日、恩納村のPGMゴルフリゾート沖縄で開幕する。沖縄でのゴルフ競技がまだ発展途上にあった1962年に第1回が開催され、数々の名プレーヤーを輩出してきた伝統ある大会だ。県内アマ選手にとってシーズンの開幕戦に位置付けられる。宮里藍や上原彩子らがジュニア時代に経験を積むなど、若手や女子選手育成の場としても進化を遂げてきた。沖縄ゴルフ界の発展に大会が果たしてきた役割は大きい。60回の節目を前に関係者の思いに触れながら歩みを振り返る。

第60回全琉アマチュアゴルフ選手権大会
特別協賛社

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全琉アマの役割 県ゴルフ協会 具志堅宗成事務局長に聞く

県ゴルフ協会 具志堅宗成事務局長

ゴルファー発掘 活性化も
 

 1996年に県ゴルフ協会に入り、競技力向上、競技人口の拡大など沖縄のゴルフ全般に関わってきた具志堅宗成事務局長に全琉アマの果たした役割について語ってもらった。

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 全琉アマの始まる当初は、県内大会が少なく、県外の諸大会に参加するために交通費などが当時で年間約200万円が必要だったと聞いたことがある。プレーヤーにとって沖縄で数多くの大会が開催されるようになるということは意義深かっただろう。

 その後、全琉アマにシニア部門が加わり、より多くのゴルファーが大会参加できるようになったことは大きかっただろう。また、新聞社が大会を開催するということはプレーヤーにとっては大会結果が紙面掲載されるし、新たなゴルファーの発掘とゴルフの活性化につながったと思っている。

 協会としては今後、ジュニアの育成という大きな課題がある。コースでのプレー経験のない子ども向けに講習会を兼ねた大会をやるとか、保護者も一緒にコースを回ってもらうなどしている。コロナ下でも安全にラウンドできるので、プレーする若い人も増えている。競技の魅力発信のためにも今後も大会の継続、発展に期待したい。

 (談)

特別協賛社・住友生命

ゴルフの普及応援

 ゴルフは若者から高齢者まで幅広く楽しむことができる生涯スポーツで、自然のなかで歩きながら楽しくプレーすることは心身の健康にもつながります。

 県内で最も歴史のある大会に特別協賛社として、地域社会への貢献、県民のみなさまの健康増進をお手伝いするとともに沖縄県におけるゴルフの普及を“住友生命「Vitality」”は応援しています。

住友生命沖縄支社長 岡野亮一

伝統 新たな発展へ

1982年4月、一般の部優勝の仲村清雄

 記念すべき第1回大会は80人が参加した。優勝者は松田隆保さんだった。現在の大会と違いコンペの色合いが濃かった。第2回は2年後の1964年。この年から毎年開催となり、現在に続く。大会初期は伊佐真義が全盛で、第9回までに3勝を挙げた。70年代から80年代にかけては、仲村清雄が5勝、続いて宇良宗哲が2勝を挙げた。プロに転身した川上典一、友利勝良もこの時代にそれぞれ1勝した。

 仲村清と世代交代するように80年代後半に仲村達也が台頭してきた。90年代はまさに仲村の時代と思わせる活躍で98年から4連覇も達成した。2012年には11年ぶり8度目となる栄冠で歴代最多優勝を記録し、現在も破られていない。

 02年からは正岡竜二が3連覇、嘉数光倫、比嘉一貴らが頂点に立つなど2000年以降はプロ選手となったメンバーが躍動した。ジュニアの飛躍も目覚ましく高校生で優勝した新城ディラン唯人が19年から3連覇した。ここから新たなトップ選手が誕生するのか。記念大会に注目が集まる。

第37回全琉アマチュアゴルフ選手権大会の各部で優勝した(左から)仲村達也、上原彩子、仲田雅夫、主和津ジミー=1999年4月2日、西原町の沖縄カントリークラブ
1998年4月、レディースの部優勝の宮里藍
2019~21年一般の部で3連覇の新城ディラン唯人

競技力高める基礎に 歴代最多8度優勝 仲村達也

歴代最多8度の優勝を誇る仲村達也=2012年3月

 「数多くのトップアマ、プロを輩出し、私にとっても土台となる大会だった」。歴代最多8度の優勝を誇る仲村達也は全琉アマゴルフ選手権に育ててもらったと振り返る。この大会から一般と勝負できるジュニアも多く台頭。全国で活躍するアマやプロの姿を見られたことが何より「うれしかった」と自身のゴルフ人生と重ね、60年の重みをかみしめた。

 自宅近くに練習場があり遊び感覚で9歳から競技を始めた。初出場は高校1年の時。当時はジュニアの大会はなく、大会出場自体初めてだった。伊佐真義やプロになった友利勝良、川上典一らなどトッププレーヤーを横目に腕を磨き、初優勝は1988年の第26回大会。そこからアマ一筋で第30回に2度目、第33回に3度目の戴冠。第36回から圧巻の4連覇を成し遂げ、第50回の記念大会で8度目の栄冠を手にした。

 4月初旬の開催が3月末となったことも大きく、九州予選、8月の日本大会に向けて「助走、励みになる試合でもあった。まさにアマ選手にとってのシーズン開幕戦」と競技力を高める基礎になっていたという。

 3月末の開催変更はジュニアが参加しやすい環境にもつながった。ゴルフ人口が減り、アマ競技参加人数が気掛かりになってきた中で、「土日開催に絞るなど会社員ら一般が参加しやすい環境を整えるといいかもしれない」と今後のさらなる発展に期待した。

女子、皆で切磋琢磨 中学3年で初V 上原彩子プロ

 レディースの部の歴代優勝者・出場者を見ると、その後国内外で活躍する女子プロ選手がずらりと並ぶ。ジュニア世代台頭の草分けの一人となった上原彩子プロ(38)は、中高生時代に出場。「沖縄からたくさんのプロが育ったのも、全琉アマのおかげ。皆で切磋琢磨(せっさたくま)して練習に励んでいた」と振り返る。

全琉アマチュアゴルフ選手権大会レディースの部出場を経て、プロとして活躍する上原彩子

 上原は小禄中1年のときの1997年大会に初出場し準優勝。98年は3位、中学生最後の99年に初優勝を飾った。岡山県のおかやま山陽高校在籍時の2001年と02年は準優勝だった。同じくアマチュアだった宮里藍や諸見里しのぶ、宮里美香らも出場していた。

 一番の思い出は、6打差をひっくり返す逆転劇だった99年の初優勝だ。「とてもうれしく、家族、親戚、練習場所を提供してくれた方々と喜んだことを鮮明に覚えている」と話す。

 大会直前は親戚や関係者に「応援に来てね」と声を掛けた。「プレーを見てもらうのが快感で、皆が楽しそうに観戦している姿がうれしかった」と言う。大会について「これからも沖縄のゴルフ界を発展させる大事なイベントとして、引き継がれることを強く望む」と願った。