「歌と踊りの島・沖縄」といわれるだけに、ブラジル沖縄県人会でも芸能関係の催し物が多い。県人会だけではなく、日系社会の大きなイベント(芸能祭、郷土祭り、花祭りなど)でも必ず琉球芸能が披露されている。
県人会を支える琉球芸能団体の力は大きい。
中でも400人余りの会員を擁するブラジル琉球舞踊協会は、女性パワーを発揮して、ウチナーンチュの心のよりどころになっている。
そのブラジル琉球舞踊協会の会長を務めているのが城間和枝さんだ。
城間さんは、1939年、大宜味村生まれで、旧姓は松本。1959年、20歳のとき、兄、弟と一緒にボリビアへ移住。第2コロニアオキナワに入植。ランプや天水を使っての生活で、入植地に電気がつくことは想像もできなかったという。
「移住してきたときは、私が沖縄に帰るつもりでしたが、反対に兄と弟は沖縄に帰り、私が残ってしまいました」と明るく笑う。
26歳のときに、城間信孝さん(具志頭出身)と結婚し、二男二女をもうけた。義父母とともに、米やトウモロコシの栽培、牛の飼育などに従事した。
「ボリビアの洪水の記事を読むと、73年の水害被害のことを思い出す。幸い、家の土地は地質が良かったおかげであまり被害に遭わなかったが、そういう状況で一番考えたのは子どもの教育のことだった」と、73年にブラジルに移り住むことになった理由を語った。
叔父の城間信一さんを頼り、カロン地区で縫製業を始めた。
「沖縄高校1年のときに移住したので、学問は中途半端だった。生活が落ち着いてきて何かをしっかりと身に付けたいと思ったとき、体で覚えられる踊りを選んだ。踊りを通して沖縄とのつながりを感じることができるのがうれしくて、夢中になって練習した」と、琉球舞踊との“出会い”を語る。
琉球舞踊は77年に故・新崎ツル子さんに師事した。
現在、玉城流玉扇会師範として、自宅のあるカロン支部を中心に、カザベルデ支部やパラナ州のロンドリーナ支部などで、3歳から90歳までの約130人の弟子に教えている。
2世の教師も2人育て上げた。堅実な性格の持ち主で、婦人層からの信頼も厚く、カロン支部婦人会会長を2期(4年)務め、現在の琉舞協会会長も2期目である。
「ブラジルの地に、琉球舞踊を通して素晴らしい沖縄の文化・習慣が継承されていくことを願いながら、日々の指導に励んでいる」と語る城間さん。
今年は移民100周年。みんなで力を合わせて100周年を素晴らしいものにしたいと張り切っている。
(与那嶺恵子通信員)
【キラリ大地で】ブラジル/城間和枝さん(69)大宜味村出身
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