【キラリ大地で】ブラジル/知念直義さん(66)国頭村出身


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 3月2日に行われた「さんしんの日・特別資金造成芸能祭」を成功させ、ブラジル沖縄県人移民100周年記念行事ための多額の資金を集めた立役者がこの人、知念直義(なおよし)さんである。国頭村安田の出身。半農半漁を営む家庭の8人きょうだいの五男として1941年7月に生まれた。
 19歳の時、村の先輩から沖縄産業開発青年隊に入るように勧められたのがブラジルに渡るきっかけ。青年隊での訓練の間、広いブラジルで思い切り農業がしてみたいという夢をはぐくみ、61年に初めてブラジルの地を踏んだ。
 身元引受人がサンパウロ市内でレストランを経営していた関係で、将来は農業をする夢を抱きながら、3年間そこで手伝いをした。移住事業団(JICAの前身)が調査員を募集しているのを新聞で知り、応募し採用された。仕事は移住者の住所の確認と状況の調査。日系人農業従事者が多いパラナ州の各地を調査して、インタビューをしたほとんどの人が、広い土地を目の前にして資金不足で悩んでいることを知り、農業をあきらめた。
 その後、タクシーの運転手、青空市場での果物やパステル(油で揚げたパイ)売りの手伝いをして、67年に結婚を機会に独立。妻のヨシ子さん(小禄出身)と3人の男子をもうけた。花屋からパステル売り、そして日用雑貨と、店を開けたがうまくいかず、90年、日本へ出稼ぎに。愛知県の自動車工場で3年間働いた。93年にブラジルに戻り、出稼ぎで蓄えたお金で住居や貸家を建てた。現在の主な収入はその家賃である。
 現在は野村流音楽協会ブラジル支部長を務めている。現在2期目(一期2年)。古典音楽は75年から始めた。沖縄では、村芝居で、あるいは兄の弾くカンカラ三線で聞いたくらいだという。教師免許を94年に取得。当地で3年前から始まった「さんしんの日」は、知念さんが中心になり他の芸能団体に呼び掛けてつくったものである。
 周囲の人たちは、何にでも積極的な人、自分のことより他人のことを優先する人、世話好きな人と評価している。はにかみ屋のところもあるが、まず自分から動く。自分自身のためでなく、県人会や皆のためという気持ちが、押しの強い人間にしている。
 今、知念さんが心配しているのは古典音楽の継承者があまりいないこと。民謡は若い世代の愛好者が増えているが、古典音楽は難しいのと平均年齢75歳という一世の世界の中に若い人が入りにくいという問題がある。その解決策として、まず民謡の先生たちに古典にも興味を持ち、親しんでもらいたいと考えている。
 知念さんは「ブラジルに来てよかった。古典音楽を通してつながりのできた先輩たちにいろいろ教えてもらい人間が丸くなったと思う。100周年を成功させるためにみんなで頑張りたい」と語った。
(与那嶺恵子通信員)