【島人の目】小渕元首相の思い出


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 1999年に故小渕恵三元首相が渡米した時に南カリフォルニア日系コミュニティー全体で歓迎会を催した。席上、群馬県人会元会長のマック宮崎さんは、同県出身の小渕首相に日系人イベントへのトロフィー寄贈を願い出た。小渕首相は快く引き受け、自費で日本から三基を郵送した。そのうちの一基が南加県人会協議会に寄贈された。

 2003年に県人会協議会は基金捻出(ねんしゅつ)のためチャリティー・ゴルフ大会を開催。故小渕首相をしのんで「小渕首相記念杯ゴルフ・トーナメント」と命名し、娘の小渕優子衆院議員の祝辞が寄せられ、プログラムに掲載された。それ以来今年で6回目、ゴルフ大会は毎年規模拡大、今では協議会最大の収入源となっている。
 南加県人会協議会は5月25日「県人会協議会についての説明会」を初めて開催、宮崎さんは小渕元首相の協議会への尽力を伝えた。同時に加藤譲孜会長は今後の協議会の方針を日英両語にして若い世代への後継を考慮しなければならないと説明した。
 小渕元首相が死去して丸8年の歳月が流れた。今年も県人会協議会のゴルフ大会が5月30日に催された。小渕元首相といえば早稲田大学在学中から沖縄問題に関心を持ち、保守の立場で「沖縄の人々の痛みを分かち合いたい」と「沖縄研究会」を設立、首相就任後、九州・沖縄サミット開催実現につなげた。しかし2000年4月2日脳梗塞(こうそく)に倒れ、開催日には出席できず、同年5月14日帰らぬ人となった。国内のみならず、国外の日系人にも多大な貢献をした元首相の人柄は長く語り継がれている。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)