【キラリ大地で】アメリカ/絹江・バースナイト・前新門さん(56)うるま市出身


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レストランを経営する絹江・バースナイト・前新門さん=バージニア州ノーフォーク市

 世界最大の海軍基地が置かれ、軍港都市として発展してきたバージニア州ノーフォーク市。この地に初めて日本レストランがオープンしたのは9年前。「おいしい」と太鼓判を押す友人の誘いでレストラン「ことぶき」ののれんをくぐった。

長いすしカウンターと座敷がある奥行きのある店に、平日だというのに結構な客の入り。忙しく走り回りながらも客一人一人に笑顔で語り掛けているオーナーの絹江・バースナイト・前新門さん(56)=うるま市勝連、浜比嘉出身=の姿があった。
 絹江さんは1978年に結婚し渡米したが、幸福な結婚生活もつかの間、35歳だった絹江さん、4歳の長女、2歳の長男を残し、夫は突然心臓病で他界した。
 悲しんでいる間もなく子供たちを保育園に預け、中華料理店で皿洗いの仕事を始めた。「自分が2歳の時に父が亡くなった。母は女手一つで5人の子供を育て上げた。そんな母の力強い生き方を見てきたこともあり、また、負けず嫌いの性格もあって、子供たちのために朝から晩まで無我夢中で働いた」と話す。
 その後、バージニアビーチの日本レストランで働くようになるが、本土出身の板前から沖縄出身というだけで差別を受けたりした。絹江さんは「いつかは自分の店をと決意していたのでレモンを投げられようと、足でけられようと、いろいろ学ぶために文句も言わず耐えた」と振り返る。少しずつ貯金し、念願のレストランのオープンにこぎ着けたが、ニューヨークなどと違って保守的なノーフォークでは、初めてのすし店のため、生魚の扱いなど、保健所の厳しい検査を通すのに一苦労だった。
 「ことぶき」では、日本人板前が2人いて本格的なすしが食べられることが人気の要因だ。すしが健康的でおいしいことに目覚めた地元の人が来るようになり常連が増えていった。絹江さんは、キッチンでは、料理のアドバイス、ウエートレスには、徹底した接客の仕方を自ら指導している。「お客さんに対して家族のように笑顔で接し、喜ばせてあげるように教える。自分も長い間人に使われる身でいたので従業員の気持ちも分かる」と笑顔の絹江さん。子供たちは大学を卒業し自立した。近くに住む孫と過ごすひとときが楽しみ。沖縄で健在の95歳になる母親にもずっと仕送りを続け、年に1度は里帰りの親孝行。絹江さんは「ウチナーンチュとして誇りをもって頑張り、もう1軒店を出したい」と抱負を語った。(鈴木多美子ワシントンDC通信員)