【アルゼンチン】記念行事支える 内間裕勝さん


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内間裕勝さん

 ウチナーンチュのアルゼンチン移民100周年記念祭典が終わり、誰よりも胸をなで下ろしている男がいる。内間裕勝さん(75)がその人。沖縄市出身。1958年に妻子と共にアルゼンチンに渡った。着亜と同時に沖縄県人会へ入会。青年部に入部して活動を開始。その傍らクリーニング店経営を始めている。

 今から30数年前に県人会の理事となり、活発な活動を始めた。その時から彼独特の奉仕精神を発揮してきた。夫人のキヨ子さんは琉舞の師匠(宮城流和美の会)として県人会でお嬢さんや奥さん方を教えている。
 県人会には事務職員もおり会館管理員も働いている。だが彼らは行事や催し物についてはあまり知らない。自然に内間さんが出て世話するといった案配だ。内間さんは理事を辞めると専ら県人会の行事に積極的になった。
 もちろん、理事就任中でも県人会のことは誰よりも精通していたが、辞任後はその知識をさらに活用した。例えば毎年開催される生年祝いやトーカチ祝いなど、各市町村人会の出身者が何人いるかを職員に問い合わせて席を配置したり、ごちそうを指示したり…。それが当たっているから不思議だ。
 それだけではない。台所(蛇口、冷蔵庫、コンロなど)の故障を完ぺきに修理している。食堂の100個近い腰掛けのぐらつきなどを直しているかと思うと、今度は奥さんの踊りの小道具を修理、制作している。
 100年祭で内間さんは大活躍した。例えばたくさんの慶祝団を入れるために、会館の庭に床付きのテントを張ったり、ごちそうを各市町村人会に作らせたりで、万能ぶりを発揮。立派な祝賀会ができたのだ。県会員から、彼に勲章を贈るべきだという声が挙がっている。
(新垣善太郎通信員)