その昔、東京での学生時代、僕はよく友人たちに「暑い沖縄にもちゃんと四季はあるよ。初夏、夏、盛夏、晩夏の四つさ」と吹聴した。四季の変化のあまりない故郷を寂しく思わないでもなかったが、夏が好きな僕にとっては、そのジョークはどちらかと言えば自慢話の部類だった。
その昔、東京での学生時代、僕はよく友人たちに「暑い沖縄にもちゃんと四季はあるよ。初夏、夏、盛夏、晩夏の四つさ」と吹聴した。四季の変化のあまりない故郷を寂しく思わないでもなかったが、夏が好きな僕にとっては、そのジョークはどちらかと言えば自慢話の部類だった。
当時の感覚でイタリアの四季を表現すると「春、夏、冬、真冬」となる。ここ北イタリアの秋は短く、寒く、せわしい。
例年判で押したように8月15日前後から涼しくなり、急速に季節が進んで10月も半ばになるとストーブをたく寒さになる。
ところが太陽の光のあふれる地中海に国土を囲まれているおかげで、秋になっても日差しの満ちた明るい夏のような雰囲気が続き、その状態のまま寒さが訪れる結果、秋を飛び越してふいに冬が訪れるかのような錯覚を毎年僕に与えるのである。若いころに住んでいたロンドンやニューヨークも北国だが、夏がいきなり冬に変わるような落差の激しい感覚はなかった。
これは明らかに地中海の日差しに恵まれたイタリア独特のものである。
そして実は、南国生まれの島人の僕にとっては、イタリアの秋のめざましい陽光はとても大切なもので、僕は夏から絶えず輝くまぶしい光を浴びてエネルギーを蓄え、おかげで暗い霧に閉ざされる厳しい冬の寒さにも負けず、むしろそれを好きにさえなって長くこの国に住み着き、恐らくこの先も住み続けていくであろうと感じているのである。
(仲宗根雅則 イタリア在住、TVディレクター)