日系2世・向田さん30年ぶり来沖 「琉米文化会館」運営の一員


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約30年ぶりに沖縄を訪れたサムエル・M・向田さん(右から2人目)と再会を喜ぶ喜久山源栄さん(左から2人目)と大嶺昇さん(左)。右端は長男のフランクさん=14日、那覇市内のホテル

 米国統治下の1950年代初めに設立された「琉米文化会館」の運営に携わったサムエル・M・向田さん(89)=米国ハワイ州ホノルル市=が約30年ぶりに来沖し、当時の職員と再会を果たした。

14日夜には、当時の同僚13人が那覇市内のホテルに駆け付け、思い出話で盛り上がった。懐かしい顔ぶれに向田さんは「30年ぶりに会って涙が出る。こんな幸せな人生はない」としみじみとした様子だった。
 向田さんは57年から71年まで、米国民政府広報局文化事業課長を務め、同会館で琉球料理や焼き物などのイベントを企画し、米軍人や軍属、その家族に沖縄文化を紹介した。
 山口県出身の両親を持つ日系2世でハワイ州生まれ。ニューヨーク州のコロンビア大学で教育学博士号を取得後、53年に来日し東京に3年ほど滞在。東京で初めて見た琉球舞踊に感激、沖縄の歴史・文化にのめり込み、文献を読みあさったという。57年に来沖後は、名護、石川、那覇、宮古、石垣の5カ所に設置された同会館を回り、運営に携わった。沖縄滞在中に旧城辺町出身のヨシさん(69)と出会い“ウチナームーク”に。
 同会館の館長を務めた喜久山源栄さん(81)=那覇市=は向田さんの手をしっかりと握った。「再会できるとは思わなかった…」。元職員の大嶺昇さん(76)=同=はうっすらと涙を浮かべ「会館で20代から40代までの青春を過ごし、いろんなことを学んで今がある。本当に懐かしい」と語った。向田さんは「街なかをモノレールが走り、高い建物が並ぶ。沖縄はずいぶん変わり驚いた」と語った。
 今回は妻のヨシさんと、オレゴン州で医師として働く長男のフランクさん(44)夫妻、2人の孫も一緒に来沖。「当時の仲間と会うことと、城辺町への墓参りが目的」と話した。
(高江洲洋子)