【島人の目】大連で出会う沖縄


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 私が大連に住み始めた1995年以後の数年間、「海外ウチナー事情」の通信員として、当地に暮らす沖縄出身者や関連イベントを探しても取材先がなかった。2000年前後からの大連のIT産業の発展と、外国人を受け入れる環境が整うにつれ、日本人が増え沖縄出身者も珍しくなくなった。

 「大連三線の会」は他都道府県出身者で構成されている。「沖縄県人会」が発足して毎月の飲み会では大いに盛り上がるらしい。沖縄料理店「今帰仁」もある。中山広場近くで特製麺(めん)の沖縄そばを出している。私はイベント情報を聞きつけると喜び勇んで取材に出掛ける。芸能関係では琉舞やエイサーの演舞、三線の会のミニコンサートなどを取材した。
 大連市が毎年実施している東アジア観光博覧会の沖縄ブースの出展は2年目で、今年は観光説明会が催された。ブース前では大連大学の女子学生が沖縄エイサー「ミルクムナリ」を披露して来場者に喜ばれた。その後、彼女らに「島人ぬ宝」を指導したのは与那原出身の佐々木君である。
 大連は市制施行から100年余りであり、中国の他の観光地のように悠久の歴史を有する建造物や、雄大な景観には欠けているが、現在の大連市旅順口区は日露戦争の激戦地となった。大連の位置する遼東半島を含む東北地方は、敗戦まで多くの日本人が生活して
おり、かつての日本人にはなじみがある地方である。外国人の受け入れに積極的な大連市は、生活環境を整え、治安を重視しており、昨年度の中国最優秀観光都市に選ばれている。
 沖縄からの赴任者や旅行者が増えて当地での交流が進むことを期待するのは、異国で沖縄に出合うことがうれしいからである。(中国・大連通信員)