【島人の目】男は黙って大いにしゃべる


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 昔「男は黙って~ビール」というコマーシャルがあった。あのキャッチフレーズは、沈黙を美徳とする日本文化の中でのみ意味を持つ。
 欧米では、男はしゃべることが大切である。特に紳士たる者は、パーティーや食事会などのあらゆる社交の場で、主に女性を楽しませるために、また自己主張のためにも、一生懸命にしゃべらなければならない。男はしゃべりまくるのが美徳なのである。

 中でもイタリア男はおしゃべりが多い。この国には人を判断するのに「シンパーティコ⇔アンティパーティコ」という基準があるが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味である。そして面白い、面白くないの分かれ目は、要するにおしゃべりかそうでないかということである。
 事ほど左様にイタリアではしゃべりが重要視される。西洋社会の人間関係の基本にはおしゃべり、つまり会話がドンと居座っている。社交の場はもちろん、日常生活でも人々はぺちゃくちゃとしゃべりまくる。社交とはおしゃべりの別名であり、日常とは会話の異名なのである。
 西洋社会に生きる者として、僕は懸命に会話術の習得を心がけてきた。おかげで日本人の男としては割合しゃべる部類になったように思う。ところがそれは西洋人の男に比べるとお話にもならない程度のしゃべりに過ぎず、彼らに対抗するには僕は酒の力でも借りないと歯が立たない。ワインの2、3杯も飲んで、僕はようやく男たちのおしゃべりの末席を汚すか汚さないかくらいの饒舌(じょうぜつ)を獲得するだけなのである。
(仲宗根雅則、TVディレクター)