【島人の目】震災国イタリアの光と影


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 先日、イタリアでまた地震があった。マグニチュード(M)6・3の割には、建物等の被害が大きく、犠牲者も300人近くに上った。

 地震国イタリアでは、激震のたびにそれへの対策が声高に語られるが「のど元過ぎれば~」の格言通りに沈静化することも多い。地震は問題だが、直ちに解決策を見いだすべき切迫した大問題の1つではない、というのが国民の偽らざる心境のようである。それは、長い歴史を通して、揺れと闘いながら無数の歴史的建造物を守り通してきた自負から来ているように見える。彼らは大地震後の瓦礫(がれき)の中から立ち上がっては、新たな揺れに耐える建築物を造り続けてきた。
 甚だしい例の1つは、紀元前62年に造られたローマのファブリーチョ石橋である。橋の近くにあった古代ローマの元老院で、刺客に襲われたシーザーが「ブルータス、お前もか!」と叫んで死ぬ18年前のことだ。以来、ファブリーチョ橋は当時のままの姿でしっかりと機能していて、今でも人々の生活に欠かせない施設になっている。
 この国にはそんな古い建造物は無数にあるが、地震国イタリアで長い時間を生き抜いたそれらはすべて耐震建築物だと言うこともできる。
 その半面、地震ごとに近代的な建物が被害に遭う情けない現実もイタリアにはある。今回の揺れでも新しい病院や公共施設などが半壊した。耐震建築基準法の実用化の遅れや、耐震偽装、また行政の手抜き工事などが指摘されるゆえんである。
(仲宗根雅則、TVディレクター)