【キラリ大地で】アメリカ/手登根勉さん(59)久米島出身


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エーブラハム・リンカーン元大統領直筆のサインの入った額を誇示する手登根さん=サンディエゴ、バヒヤ・リゾート・ホテル前

 カリフォルニアの最南端サンディエゴは周囲を海と山に囲まれたリゾート都市として知られる。温暖な気候と緑がいっぱいの風光明媚(めいび)な場所で、ロサンゼルス・ダウンタウンからは高速道路で約1時間半のドライブである。日系人も多く、どちらかというと富裕層の人々のたたずまいだ。そこに居を構え、建設会社を営む久米島出身の手登根勉さん(59)がいる。

 彼は小さいころからスポーツに凝り、高校へ進学するチャンスを持てなかった。20代初めのころ、大阪万博へ行く機会に恵まれ、そこで知り合ったナンシー・マクーダさんとの逢瀬が彼の人生を変えた。ナンシーさんはアイリッシュ系アメリカ人、父は外交官だった。ナンシーさんは名門スタンフォード大を卒業後、手登根さんと出会った当時は早稲田大学大学院に留学中の身。日本文化を専攻し、日本語にもたけた女性である。やがて、ナンシーさんは手登根さんのプロポーズを受けることに。沖縄で共に2年間を過ごし、琉大で教壇に立ったこともある。
 1972年に共にアメリカへ渡り、カリフォルニア州サンディエゴに居を構えた。手登根さんは静岡県出身のランドスケーパー(造園業者)の下、見習いをしながら、夜学に通い、高卒免許取得へこぎ着け、現地の短大を卒業した。同時にランドスケープ(造園)の免許を取り、独立した。「テドコン・ランドスケープ&コンストラクション」名で会社を設立(資本金2億円)、事業を拡大していった。7つの下請け会社を吸収合併し、あらゆる免許を取得。カスタム・メードの日本庭園や、水泳プール、カスタム・ホール(滝)、ジャグジー、ガジーボ、ファイヤー・プレイス、新しい芝生の入れ替えなど、幅広い事業展開でアメリカ人の信頼を勝ち取っていった。これまで着手し完成させた仕事は約2000件になるだろうと胸を張る。
 「アメリカ人に負けてたまるか。彼らの生活水準まで自分を持っていく」をモットーに、カウボーイになったつもりで馬にまたがり、広い海原に思いをはせ、ヨット・クルーザーを購入した。いつの日かこれで沖縄まで渡る計画があると息まく。現在、社長職を長男に任せ、自分は会長として会社運営を手伝い、アドバイスしながら、息子を見守っている。ナンシー夫人との間に1男1女。(当銘貞夫通信員)